2014年7月11日金曜日

世界を映す鏡となれ

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こないだ「タルパって自分を映す鏡のようなもんでもあるんじゃね?(要約)」って言ってたわけですが。
うん、タルパを通して自分ってものを理解していくってやつ。
まあこの辺はタルコンの受け売りみたいなもんだけど。
というわけで、今回の記事は多分タルコン読んでないとすっごい分かりにくいと思う。
せっ、宣伝なんかじゃないんだからねっ!


もうちょっと考えてみたんです。
タルパとは何か。
そしてふと思い浮かんじゃったんですよ。
現段階での私のタルパってのは私という枝からさらに伸びている枝なんじゃないかって。
そして、どんどん深く掘り下げていったタルパって、私という枝が生えている木から直に生えることになった枝なんじゃないかって。

もうちょい小難しくかつオカルティック(当社比)に書くんなら、私というものは何かしらの根源(タルコンでいうロンクってやつかもしんない)に繋がっており、私はその根源が現実に投影されているものの一端でしかない。
そんでもってタルパはその投影されたものから更に投影されたものであり、当然ながらそんな投影投影されてるもんなので、うっすい。
しかし、タルパについて何らかの方法で深く掘り下げていくことができるんなら、タルパ自身が根源に繋がって、タルパと私は根源を同じくする別個の個体になるのかもしれない。
別個の個体ではあるものの、同じ根源に繋がっていることは確かなので、つまりタルパと私はやっぱり繋がってて、そんでもって根源が同じなんだからそりゃもう個々を保ったまま一つになってるようなもんで…
て感じ。ええい、うまく書けんわこんちくしょー!


という感じの事を考えてみました。
そこまで考えてふと、これぶっちゃけ薫さんの事書いてるんだけど、それじゃオズってどうなんだろ?って思ったんです。
オズは邂逅型タルパです。
私自身は彼を『私の世界の捉え方』、つまり世界の一端の擬人化みたいなものだと思ってます。
そう考えると、オズと私の根源とするものは違うんじゃないか?とも思えてきましてですね。
多分、私の根源の更に根源がオズの根源なんじゃなかろうかと。
それこそ世界ってやつだったりするんじゃなかろうか。
邂逅型であることをオズってコンプレックスに思ってて、創造型である薫さんを羨んでいるような節が度々見受けられるんですけども、この、根源が別なのかも?って事を考えるとしっくりくると思うんです。

ちょろっと話は変わりますが、オズ、よくこんな事を言うんですよ。
『君と一つになりたいな。個を保ったまま、別々の個体のまま、一つになりたい。』
…これだけ聞くと、ただただこっ恥ずかしいだけのセリフですが、今回書いた事を振り返ってみると。

その言葉の意味を知るオズは、ただただ意味ありげに微笑んでいる。

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