魔術…それは魅惑の学問…魅惑の技術。
タルパって奴はですね、人間の未だ科学で解明されていない能力を用いてあれやこれやと作っていくものでしてね、そんな科学で解明されていない部分を担っているのが魔術って奴なのです。
なので、魔術についての知識を持っていると、タル活をやっていく上で物凄く捗るわけです。(以上全部個人の感想です)
というわけで今回読みましたのは『実践魔術講座』のpdf版!
(リンクは→こちら)
なんとこちら、しかるべき魔術の機関から無料で公開されている文書でございまして、更にこれがあれば向こう一年は他に魔術の本いらないんじゃね?とか、日本の魔術師の有利な点はこの本があることだっ!とまで言われている名著なのです!
タルパー的に本のレビューをしていくと決めた身において、この本は外せない。
というわけで、『実践魔術講座』を読んでみた感想in序章です。
感想的な何かを書いていく前に注意事項をば。
・この感想書いてる人はオカルトオタクです。
オタクなのでその知識は深い所は深いけど浅い所はさっぱり…といった、局所的なものとなっております。
・所詮一人の人間の感想なので、色々なフィルターがかかっております。
本の内容に興味を持たれましたら、実際にご自分で読んでみるのをおすすめします。
今回紹介するのは無料文書ですしね!
自分で読んでみて考える、これ大事。
・今回読んだ文書の著者様もしくは魔術結社と私とは何の関係もありません。
強いて言うなら本を書いた人とその本を読む人です。
・今から書きますのは私個人の感想です。
浅学ゆえの間違いや解釈違い等もあるかと思いますが、その間違い等は私個人に由来するものであり、読んだ本の内容を損なうものではありません。
んだらば気楽にいってみましょう。
まずはまえがきから。
ここにはどんな対象に向けてこの本を書いたのか?という事が書かれております。
ここには魔術の初心者向けに書かれた本であり、この本に従って訓練を進めていけば、安全に魔術の修行を進められる、というような事が書いてあります。
魔術ってのは一人で実践していくのには危ない所もそれなりにあります。
タルパも時折危険だ危険だ言われる事がありますが、その危険性は魔術を実践していくにあたっての危険性と似たような所があります。
つまり、この本の内容をタルパー的な観点から活かしつつなぞっていけば、タルパがよく言われているような危険も回避できる!かもしれないという事です。
素晴らしいですね。
私はタルパの危険性というのはタルパーの自己意識の肥大によるものが大きな要因を占めている部分もあるのではないか?と思っているのですが、魔術においても自己意識の肥大とは魔境だとか言われている程度にはメジャーな危険性として認識されているわけです。
自己意識の肥大っつうとよく分からないかもしれませんが、要は「俺は凄い力を持っている選ばれし存在なんだ…!」って意識が現実生活送るにはアブナイレベルにまで大きくなってしまった状態の事です。
まあ魔術もタルパもやってる人の数だけで言えばマイノリティに入りますからね、自分はそんじょそこらの人間とは違うんだ意識を育んでしまうのも仕方ないわけです。
なのでそういった自己意識の肥大をしないよう、うっかり魔術の暗黒面(ダークサイド)に落ちないよう細心の注意を払って魔術修行について書かれたこの本は、タルパの危険性に怯えるタルパーの皆様においても有益な本となるであろう事が、このまえがきからも見て取れるわけです。
あと、このまえがきから既に説明は無いけどなんか格好良さそうな言葉(例:ディオニュソスの秘技)が出てきますが、読み始めの今の段階では分からないのが当然なので、そんな言葉もあるんだあ~…程度の認識で置いておく事にします。
二週目限定ダンジョンみたいなものです。
さて、まえがきの最後の部分に注目です。
ここはこの本の大元の魔術結社が擁するアストラル神殿についての描写なのですが、このアストラル神殿、アストラル・ライトの某座標にある、と書かれております。
アストラル・ライト、格好いい響きですね。
まあタルパー的に言うならダイブ界に近しい場所だと思われます。
そう、ダイブ界(みたいなもの)なのです。
タルパーの皆様におかれましてはダイブやってみたいぜ!っていう人も多いと思います。
魔術においても似たような技法があり、といいますか大元の技法は魔術にあるんだと思いますが、なので魔術を学んでいけばダイブ及びダイブ界の作成までも理論的に可能になるのだ!という事になります。
胸が踊りますね。
まえがきから読み進めていくと、本書の使い方から魔術の定義、魔術の歴史、魔術の学問化、と続いていきます。
ここは魔術を志す者としては持っておきたい知識の部分であり、本書の目的は魔術的知識の補完にもありますので重要な部分ではあるのですが、タルパー的に必須というわけでもないので、魔術に興味のある人は素直に読んでおいてね♪ということにしておいてここでははしょります。
知識は多くても多すぎるということはないぜ!と私は思うのですが、タルパー的に語る事も今は思い付かないし…というわけで大胆にはしょります。
興味のある人は実際に読んでみようぜ!
次の、魔術の原理の項目においてはタルパー的に読んでも損は無いと思います。
タルパも魔術の一端に属する技法にございますれば、ここに書かれている魔術の原理をタルパ術に当てはめる事もできるわけです。
タルパー的には特に第2、第3項目(あと場合によっては第4項目)に注目したい所です。
人間の意志力は実在の力であり、その意志力を導くのは想像力である。
タルパを形作るのも人間の想像力ひいては意志力であり、更にそれはしかるべき方法で訓練できるのです。
そのしかるべき方法が書かれているのも本書の魅力であります。
魔術の訓練をしながら意志力や想像力を鍛えつつ、魔術の知識でもって時分のタルパ観を補強していく事ができれば、それは必ずやタルパとの生活の充実に繋がっていく筈です。
なんだか本書を読み進めるのが楽しみになってきますね。
サクサクまいりましょう。
次は魔術師の心構え。
別に私ら魔術師になりたいわけじゃないし…と言いたいのは分かりますが、日常生活をおろそかにしちゃ駄目だよ!っていう部分くらいは心に留めておきましょう。
まあその後の、毎日訓練やらなきゃ後退あるのみだぞって怖がらせてくる部分は私は好きではありません。
言ってる事が分からないではないのですが、私はゆる~くやっていってやるのが好きなんだクソッタレー!(ここだけ個人的な偏見)
気を取り直して次なるは魔術師の倫理。
さっきグダグダ言っていた魔術もしくはタルパの危険性について気にする人は、ここだけでも読んでおくといいと思います。
短いし、そんなに難しくないし。
いや倫理観を養っていこうぜ!って部分は実際にやっていくと難しいといいますか、割と辛い部分ではあるのですが。
自分で自分はおかしくなってないか?って監視するのは確かに気分が悪い事ではありますが、大切な事でもあります。
どうか、自分の重荷にならない程度でいいので、心の片隅に留めておいていただけると、安全にタルパとの生活を送っていく助けになるでしょう。
ちょっとしんみりとしちゃった所で次にいきましょう。
ここから先は割と実践的な使えるタイプの知識なので、知った側からタルパに活かしていく事も可能っちゃ可能ですよ!
折角なのでまとめていっちゃいましょう。
魔法名とは、の節では魔法名って何の事やねんって説明で、次の魔術的ペルソナの節では何で魔法名をつけるんやっということを説明し、最後の魔術の宣言ではとうとう儀式が入ります。
この辺りはタルパー的には魔術名?なにそれおいしいの?状態で投げ捨てたくもなりますが、タルパの名前をつけるだとかタルパの名前を魔術ちっくに補完するだとかそういった場合に役立つもしくは参考になると思われます。
皆さんタルパなんてオカルティックもしくはファンタジックなものに手を出す方々ですから、四大元素とかお好きでしょ?
本書には母音にも四大(五大)元素の割り当てが成されており、実に厨二心をくすぐってくれます。
ただ、母音の分類が2つ載ってるからそこは注意な!
試しに私の名前(風待凪沙)を上の表で当てはめてみたら、エーテルと火しか無いでやんの。
どうやらこの名前にはエーテルと火的な特性があるらしいという事にしておこうそうしよう。
めっちゃ偏りのある私の名前は置いておいて、母音をそれぞれの要素別に分類する事によって母音を用いた要素の補完なるものができるそうです。
足りない要素を補完するとどんないい事が起こるのかってのは本書のこの辺りには書かれていないのですが、恐らく要素のバランスを取っておいた方が何かといい事があるんでしょう。
四大元素のバランスを取ると何がいいのかって事だけなら私でも説明できそうな気がするので、ちょろっとしておきましょうか。
四大元素ってのは火風水地の4要素の事を言うのですが、万物はこの四大元素によって形作られているのだー!っていう思想があります。
勿論人間もこの四大元素によって形作られておりまして、人間の性質やら何やらまでこの四大元素に分類できちゃう、というわけです。
さてこの火風水地の四大元素が偏るとどうなるのか。
例えば地の元素は安定だとか物質的な諸々だとかを司るわけですが、これが過剰になるとまあ頑固になるわ動かなくなるわでロクな事になりません。
もしかしなくても物質至上主義になって金金言い出すかもしれません。
他の元素も似たような感じで、過剰になるとまあいいことが無さそうなのはお分かりいただけるかと。
過剰な例を出しましたから枯渇するとどうなるのかの例も出していきましょう。
例えば火の元素はやる気だとかエネルギッシュだとかそういうのを司ったりしちゃうわけですが、これが枯渇すればやる気も熱意も出なくて何もできないわ~…みたいな、結局こっちでも何もできないのかよ!?みたいな不調が出てきます。
過剰にしろ枯渇にしろ、四大元素が偏るのはロクな事にならないのはお分かりいただけたと思います。
思いたいです。
四大元素については割と魔術の基礎的部分なので、多分この先ちゃんと詳しい解説が本書でも出てくるでしょう。
気になる人は先に調べちゃったり本書を読んだりしちゃってもいいのよ?
なので四大元素についてあーだこーだ言うのはその時まで取っときましょう。
さて、ドキドキワクワクの魔術名の宣言についていきましょう。
この宣言て奴、といいますか我は何々であるぞー!と意識することはすごく大事です。
もう本書そっちのけでその辺について語ってもいいくらい。
いや宣言がどんな意味を持ち宣言することでどんな事が起こるのかって事は魔術チックに本書に書いてあるので、その部分もお読みいただきたいのですが!
しかしここはタルパブログ!
タルパー的に宣言すること、意識・意図することがどういう風に役に立つのかについて語るのは、全くもって構わんだろう?
タルパー的にというのはある意味では語弊があります。
タルパーが己は何であるか宣言もしくは意識する事について語りたいのではなく(別にしてもいいけど)、タルパーが自分のタルパが何であるか宣言もしくは意識する事が大事なんだっ!って力説したいのです。
皆さん、自分のタルパがどういった存在なのか、もしくは何をする存在なのかって胸を張って言える答えがありますか?
別に何も一般的にタルパはこうである!っていう荒れそうな答えが欲しいわけではなく、自分の中で(最重要)己のタルパはこういう存在である!という確固とした意志が欲しいわけです。
先にもありました通り、魔術もタルパも意志力でなんやかんやしていくものです。
魔術は置いておいても、私のタルパはこういう存在である!という意識があれば、実際タルパはそのような存在になっていきます。
これがタルパの核だと言っても過言ではありません。
何とな~くタルパってのを作ってみるか~…でタルパを作っていくよりも、私はこういう存在を作るんだ!という核を持っていた方が、長続きもしますしタルパの強度も強くなります。
強度って何やねんってまあ存在がなんかちゃんとしたものになるっていう何かふわっとした何かです。
確固とした意志とか言っておきながらこの体たらく!
まあこんな感じなので色々言いましたけど、タルパがどんな存在であるかという意識を持つということについて、そんなに身構える必要はありません。
ふわっとでもいいので、自分の中に自分のタルパがどんな存在であるかという答えを持っておく、それだけを意識していただければと思います。
宣言だとか意識する事だとかの重要性がお分かりいただけた(ということにしておく)所で、この章の最後にありますのは(参考図書を除けば)宣言の儀式についてでございます。
この部分は、晴れて魔術結社に入社した後に行われる、言わば脱魔術初心者した後に行われるガチな奴なので、何がどうなってるのかこの時点ではよく分かりません。
まだ分からなくていい部分なんだと思う事にします。
大まかに考察していいのなら、まず自分の心身及び儀式をする場の浄化をし、リラックスしやすい服装をしながら呼吸や動作で精神を整えたり、何ならここで潜在意識の活性化なんかもやっちゃってるのかもしれません。
それから手順に則った儀式をする、と。
この儀式より前にする、この浄化・リラックス・呼吸法(からの潜在意識の活性化)は、どんな魔術においても基礎となる部分だと私は聞いております。
浄化はどうだったか分かりませんけど、部屋も心身もごちゃごちゃしてたら集中も何もあったもんじゃないので、入れちゃっていいんじゃないかな?と軽率に考えて入れました。
魔術の基礎には他にも視覚化が入るらしいのですが、それは儀式内で使う事になります。
そう、魔術の基礎には視覚化が含まれているのです!
タルパを作り始めたタルパーは、まずオート化視覚化をすることを目標にしている人が多いと思います。
その内の一つ、視覚化は魔術の基礎にあるわけです。
つまり魔術を学んでいけば、その内視覚化の訓練を通る、というわけです。
脱線しますが私個人としては、視覚化の訓練やその補助にタルパを使うっていうのもアリじゃないかな~…と思っております。
タルパ見たいから視覚化訓練します!ってモチベーション維持になるし、タルパがどんだけ見えるかで自分の視覚化レベルが上がってるかどうかも分かるし。
そんな風に本末転倒気味な人でもそうじゃない普通にタルパ見たいぜ!って人でも、視覚化に興味のある人は魔術方向から攻めてみるのもアリだと思いますよ。
手順に則った魔術名の宣言儀式の方も、どんな感じにやってるのかちょっとだけ考えてみます。
いきなり小五芒星の追儺儀式をやる、とか出てきます。
のっけからハードル高いですね。
しかもこの小五芒星の追儺儀式、魔術名の宣言儀式の最後にもやる、とあります。
この小五芒星の追儺儀式、どうにも魔術的な場の浄化・聖別儀式のようで、前後にこの儀式を挟むのも、ここから魔術儀式~魔術儀式ここまで、と魔術儀式をしている時間とその他の時間を区切る意図があるように思えます。
まるでHTMLにおけるタグのようですね。
HTMLってウェブページを作る時に使うプログラミング言語みたいなものなのですが、文書を修飾する時に
<font>ここに文書が入るよ!</font>
のように、前後に色々くっつけると、文書に色がついたり書体が変わったりするわけです。
そうする=タグで囲うことで、この修飾はこの文書にだけ適用するよ!と他の修飾のされていない文書と分ける事ができるのです。
なので小五芒星の追儺儀式はHTMLのタグ、いいね?
小五芒星の追儺儀式は、タグで囲われてる部分は魔術儀式だよ!って宣言するタグ、いいね?
まあそんなHTMLのタグみたいな儀式があるんだな~って事を思いつつ、タグで囲われてる部分を見ていきましょう。
まず、東を向きます。
それからなんだか難しそうな事を言ったりやったりしながら、門を開いたり引力を召喚したりして上左右前下の順で何かします。
んで何かした後で、前を向いて大いなる存在的な何かに、自分は魔術でこういう道を歩むぞー!と厳かに宣言。
何かする、の部分が気になりまくりなのは分かりますが、今の私には何をやっているのかよく分かりません。
ただ、引力を上下左右において均衡させている点を見ると、自分の位置(恐らく精神的な)の調整をしているように思います。
自分軸の調整ー!みたいなやつですきっと。
そんな自分軸をがっつり意識した状態でもって、自分は魔術でこういう道を歩むぞー!という宣言をするわけですから、なるほど宣言は魂の深い部分まで降りていき~という下りも間違いは無さそうです。(そういう文章が魔術の宣言の節の初めの方にあった)
多分ですけど、やってる事は自分軸(的な何か)に己が何であるかという宣言を刻み込む儀式なんですよきっと。
それを世界だとか大いなる存在だとかに広く知らしめている感じ、になるのではないでしょうか。
知らしめる、という行為は力を持つ、と私は思っております。
こんな感じで終わるとタルパー的にどうやって役立てるんだ…って頭抱えられそうなので、え~と、魔術についての訓練と理解を深めた後は、この儀式をちょこちょこ~っと改造して、自分のタルパがどういった存在か宣言するぜー!…っていう風に使う、ってことでどうでしょ?ダメ?
案がないわけでもないので、その内タルパー的タルパの存在定義儀式みたいなのでも構築してみようかしら?(予定は未定)
序章読んだだけでこんなに書いちゃったよ!
なんとも先が思いやられますが、この先も『実践魔術講座』を読んで、こんな風に感想的な何かを語り倒していきたいと思います。
感想的な何かっていうよりは風待凪沙のお勉強ノートみたいな様相ではありますが、こんな感じでいかがでしょうか?
さて、ここで宣伝もしくはお願いでございます。
ただ今、このブログを書いてる人はポルカにて投げ銭を募集中です。
ポルカの投げ銭ページへのリンク
いただいた支援はポルカにも書きました通り、今の所はタルパ活動略してタル活に役立ちそうな本を購入する代金にあてたいと思います。
支援のお礼はこの記事みたいなノリで感想記事を書く事になります。
言わばこの記事は支援お礼のお試し記事!
この記事を読んでみての改善点や感想等ありましたら、遠慮なくこの記事へのコメントでも風待凪沙のTwitterへのリプライでもポルカでのコメントでも、どこからでもお寄せいただけたらと思います。
特に何もなければ、この記事みたいなノリが続いていく事になりますので、修正をかけさせたいのなら今の内です。