2014年6月7日土曜日

未完の物語

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今日は何だか本質についての話をしなければならないそうです。
さっき自分で言っちゃったからね!忘れないうちにやんないと!

さて、ここで語りますのは私のタルパ、薫さんの本質についての考察でございます。
あー?人間の本質だぁ?
よそでやれよそで!
ググレば色々出てきますって!性善説とか性悪説とか!
ぐーぐる先生は物知りなので人生、宇宙、すべての答えだって出てくるんだぜ!
これは聞かない手はありませぬ。

まあそんな事は置いておいて。

※これから書くことは全て我が家での話です。つまりは俺ルールです。世間一般で言う本質からはズレにズレまくると思われます。(みんなも自分だけのタルパの本質を見つけてみよう!)

って事です。よそ様に!あてはまるとは!思えない!

はい。では気を取り直して始めましょう。
まず始めにタルパとはなんぞや?
タルパとは人工未知霊体とも言い、自分の理想とする存在を生み出すことである、などとネット上じゃ言われておりますね。
つまりは二次嫁を現実に呼び出していちゃいちゃする技術!
すっげー適当にはしょったけど。

それでは、ネット以外ではどうなのか?
元々タルパとはチベット密教の秘奥義で、修行の一環で手に入れるものであると聞いております。
タルパが欲しくて作るんじゃなくて、あくまで修行している内に自然と手に入れてる、とかじゃなかったっけな?
自分自身どこで手に入れた情報か忘れてしまった上、これ以上説明すんのめんどいんで、あとはタルコンでも読んでくれ…と言いたい所だけど、やっぱりそうもいかないよなあ…。
でも多分タルコンだったと思うよ>ソース
確かね、結論としては、タルパってのは修行のための手法としてあるわけで、別にいちゃこらするためのもんじゃないんだよ~!って感じ…じゃなかったかなあ。
少なくとも私の大雑把な解釈ではそうなった!



持論を話すにはまず一般論を示してから!
とは思いますが、それでやる気なくしちゃっても仕方ないんで、ここらで一般のお話は締めましょう。
もっと詳しく知りたかった!って方は調べるといいと思うよ。←(丸投げ)
私、調べりゃ出てくることしか書いてないから!

では、ここからは我が家の持論です。
まずはどこから話しましょうか。
とりあえず創造型と邂逅型についての私の解釈でも先に書いておきましょうか。忘れないうちに。
創造型と邂逅型については、私は以下のように捉えております。

創造型タルパとは自己の探求であり、邂逅型タルパとは世界との邂逅である。
創造型タルパへの理解を深めることはすなわち、己を深く観察することでもあり、
邂逅型タルパへの解釈は、自己の世界の見方を改めて認識するものである、と。
というわけで、薫さんは私自身の投影でもあるからして、彼を見つめることで自分でも分からない自分が見えてくる。
オズは私が認識している世界というものの一端であり、彼について考察することによって自分がどのように世界を見ているのか、ということを考える助けとなる。
…ごめんね、最初の方のフレーズ言ってみたかっただけなの。
多分後で自分が見返しても最初の方しか分かんないだろうけど、まあそんな感じっすね。

そんなわけで、世界の本質なんか私の手には負えないので、ここでは薫さんの本質って奴だけ考察するね!
異論は認めない。



創造型タルパの本質とはなんでしょうか。
それは多分そのタルパを作った人にしか分からないのでしょう。
その人がタルパにどんな想いでどんな役割を課したのか、とか、少なくともそんな事私には分かりっこありません。
分からない方が双方にとってもいいことであると私は思います。
私はその人ではありませんし。
だが!理解できなくとも、歩み寄る事位はできるかもしれない!
というより、歩み寄って話し合って最終的には大議論大会になったとしても、きっとそこから何か生まれるに違いない!
そう思いながら私は薫さんに込めた本質って奴を語ります。
…チキンだから、突っ込んだ内容は書かないけどね。
ちなみに大議論大会なんかになったとしたら、まず最初に私がギブアップします。それだけは確実です。

私は薫さんを作るときに、こういう役割を彼に与えました。
私の創作活動の助けとなること。
常に私に寄り添い、支えとなること。
更に私は薫さんと過ごす内に、薫さんの中に私と似通った部分があることを知りました。
例えば…傍観者気質な所とか。
どうにも表舞台に立てない所が割と良く似ているように思えます。



……日記はここで途切れている…。
うん、長いし疲れたし、今日はもうここで切っちゃう!
残りはまた*明日*!