お久しぶりです&大変お待たせしました!
本の残りの部分を何とかまとめようと悪戦苦闘をしたりもしたのですが、どうあがいてもできなかったので、結局各セフィラーごとに語っていくことに決めました。
長くお待たせしてしまった上に、コンパクトにまとめられずに大変心苦しくまた申し訳ないのですが、もうしばらくお付き合いいただけると幸いです。
というわけで早速ケテルについて語っていきましょうそうしましょう!
まず、『神秘のカバラー』的にはケテルの中にはいかなる形も存在しないのだそうです。
純粋な存在にして、もしくは非存在から一歩離れた潜在力。
力の一歩手前だから潜在力かも。
参考になったらいいなイメージ図。
表現しがたいけどこんな感じでどうでしょ?
さて、生命の木は対立する二極とその二極が均衡をとった三つ組だ~って言ってきましたが、ケテルは分化する前かつ二極化する前の純粋存在だからか、分かりにくい気がします。
これがコクマー・ビナーなどの二極になると、二つを比較しながら考察できるのでかえって分かりやすくなってると思うんですよね。
比較って大事。
力でも形でもなく純粋な存在なので顕現世界の定義的には無ってことになっちゃうんだけど、ここでいう無とは有の一歩手前の状態であるからして、私が存在している状態と存在していない状態が共にあるみたいな感じ…なのではないかと生命の木関係ないワークで私が得た体感的にはそんな風に言えるんじゃないかな~…と思います。
まあ私の体感・主観なので話半分に聞いておいてください。
所でケテルの向こう側には否定的存在のベールを挟んで無が控えているんですが、それとはどう違うのかって言われると…う~ん…考えるな…感じろ…。
さて、ケテルは王冠のセフィラーとされています。
何故王冠なのかと言いますと、頭ではなく頭の上にあるのが大事なんだそうな。
私がちょっと知ってる話によると、人の意識だとか自己世界だとかなんかそういうその人を形作る源泉みたいなものは頭の上にあるんだそうで。
その人の世界はその人の意識だとか自己世界だとかによって形作られているので、ここをなんやかんやする術も色々あんじゃないかなあ。
私そんなに数知ってるわけじゃないから何とも言えんのだけど。
なんか生命の木にはなんとか界ごとに木があるって考えがありましてだな、その界ごとにセフィラーには名前があって名前によって力の現れ方が違うとかそういう話があるのですが、気になるんならそれはご自分で本を読んでいただきたく。
すべての(魔法的)作業はケテルにあてはめられている神名エヘイエーでもって神を呼ぶとこから始めなきゃいけない、とあるのですが、要するにケテルはあらゆるエネルギーの純粋な源泉なので、他の傍流から持ってくるのとは訳が違って宇宙の創造の流れに沿って宇宙の資源を増やしてるわけだから、つまり何かしらの反作用や代償を払わなくてもいいし、むしろ自然は協力してくれるのだそうです。
宇宙創造の流れの図…を描いてみたつもりなのですが、きっと分かりづらいと思われますので、流れの本流・傍流の概念についてもっと秀逸なイメージが欲しい方は、本編全編カラーで無料!なとんでもなくパねえweb漫画『胎界主』(http://www.taikaisyu.com/)を読まれるととてもナイスだと思います。
長い、とても長い漫画ではありますが、魔法やら魔術やらオカルトやらを探求しておられる方々におかれましては、ぜひ一度『胎界主』を読まれてみる事を全力でおすすめします。
話を戻しまして、神…という部分には私はなじみがないのでとっつきにくいのですが、宇宙の創造の流れに沿ってあれこれやればそれはごく自然なことだから何の反作用も無い、という考え自体は私はナイスだと思うのですよ。
仮にもタルパ作成なんていう創造行為をしている身としてはこういうとこ目指したいよね。
どんな原理や法則が働いているかを知った上でその原理や法則通りに組み立てればそりゃうまくいくししっかりしたもんができるってことでさあ。
…とは言うものの、私はこれには色々言いたいこともありましてだな、とりあえず何が言いたいかって言うとレゴムービー見ようぜ。
何でいきなりレゴムービーとか言い出したのかって言うと見れば分かるからとにかく見よう。
こちらのレゴムービーも、魔法を探求しているや、特に創作活動をしている人創作活動を始めようとしている人創作活動を挫折しちゃった人に物凄くオススメなのでとにかく見てくださいお願いします。
脱線ついでに好き勝手な事言うけど、ぶっちゃけその法則に従うって事はその法則と同じ土俵に立つつまりその法則で縛られた世界に縛られる事になんじゃないかと私は思うんすよね。
私縛られるのが大嫌いなんすよ。
じゃあどうすれば縛られずに済むかって言うと、自分の世界を作ってどーん!すりゃいいんすよ。
物理的な次元で言っても、世界と認識しがちな地球だって数多ある星の内の一つしなかいんすよ。
地球の物理法則が遠く離れた別の銀河系の星でも通用するかどうかなんて保証されないんすよ、と私は思っているわけです。
近場の月ですら重力が地球とは違うわけですからね、いやでも物理の公式とかは通用するんじゃね?って話は投げ捨てておいてください。
つまり何が言いたいかって言うと、そもそも土俵に上がらない、そういう選択肢もありじゃないかなあと私は思うんすよ。
こんなことカバラーの記事の中で言うことでもないかもしれませんけどね。
さてさて、『神秘のカバラー』内には、ケテルに対して瞑想をほどこしていくと、やがてある作業の結果はほとんど問題ではなくなるということが直感的に分って来る。(p159)というような事が書かれております。
どういうことかっていいますと、アストラルイメージを自分の好きなように転換することが可能になり、その作業によって物理的にどんな事が起きるのかは成るように任せられるようになる、みたいな感じです。
例えばアマゾンなんかで買い物をする時、欲しいものをぽちったら後は何もしないでしょ?お金払ったり住所設定しといたりはあるかもだけど。
欲しいものがどの倉庫から出荷されるかとかどの経路を通ってくるのかとか運ぶ人はどんな人かとかいちいち気にしたりしないじゃん?
それと同じような感じです。
このある種気にしないマインドがあらゆる魔法作業の秘鍵なんだって!やった~!
タルパに何かお願いする時もこのマインドが使えます。
お願いとかどうやって叶えるんや~!って悩むのは脇に置いといていいので、まずは願う事から始めましょうって薫さんも言ってた。
なんかふわっ…としたお願いでも全然問題なっしんぐ!
タルパが何か良いように解釈してとてもナイスな結果を出してくれます。
タルパにお願いしてお昼寝して起きたら叶ってた、そんなこともざらです。
寝るのは大事ですよ!
お願い事を潜在意識にぶちこむのにも使えますし、何だかんだでエネルギー補充するのにとてもとても大事です。
『神秘のカバラー』の各セフィラーの説明にはイエツィラー文だとか魔法のイメージだとかの解釈ものっているのですが、これがいちいち難解かつ初学者たる私にはどんな必要性があるのか分かりにくいもしくは分からない!
色々すっ飛ばして要約すると、万物を条件づけることが「ケテル」の本性である(p161)だそうです。
万物はここから発するからそういうことになるんだって。
ケテルの魔法のイメージは髯を生やした古代の王の横顔なんだそうな。
とにかくケテルは顔プッシュなんですよ。
確かに顔には目鼻耳口といった人間の感覚器が勢揃いしてますから、外界の情報を受け取って定義づけるという人間と世界との関わり合い方をみるに、ケテルは顔!万物を条件づける!って言いたくなるのも分からなくはない気がします。
この顔に生えてる髯の一本一本にも何やら重要な意義があるらしいのですが、そこまでは私ゃ知らんです。
本にもあんまりのってないのでこれは置いておきましょう。
さてここで、ブリアー界におけるケテルの諸力はメタトロンを通じて顕現され、ここからいきなり話はマルクトまで飛び、それはケテルの大天使から影響力を流れ出させる原因であり、宇宙のあらゆる光の輝きの源泉であるからして、ここから霊が流れ出て物質界に顕現するばかりでなく、物質はそれ自身をエネルギーによって霊を顕現世界に引き出す事ができることを学べる…というような事がp161からp162にかけて書いてあるのですが、なんでや。
何故いきなりそんな結論が出てきたのか私はよく分かりません。
よく分からないのですが、物質枠たる人間もエネルギーをなんやかんやすれば霊的作業をこの顕現世界もしくは物理世界でできるもしくはやってもいいんだそうです。
何故ならそれは世界の設計図たる生命の木の流れに沿っているからだっ!
というわけで、私達もエネルギーをなんやかんやして霊的作業であるタルパ作成をうまくこなせるよう、引き続き生命の木について学んでいきましょう。
さっきも書いたと思うのですが、魔法使いは自分と宇宙的な力とを一直線に結びつけ、自らの行う作業が宇宙の創造過程の一部にするのが大事なんだそうです。
私もそれ大事そうだなあとは思うのですが、『神秘のカバラー』的にはキリスト教的神がここに絡んでくるので、ちょっとアレンジしないと使えないなあ…って思ったりしてます。
しかしこの辺りになると、結構今まで本の中に出てきたような事がまた出てきたりしてるように思えるのよね。
ケテルのみならず、生命の木というものは魔法的作業を行う為に用いられてきたという側面があるのですが、魔法的作業をしていくにあたりまして、肉体を持つ間はアツィルト界のケテルの意識には決して昇れない、だのケテルに入ったら神と共にいっちゃって戻ってこれなくなるだの、とかくケテルは肉体ある限りどうやってもここにはいけない、的な書かれ方がされているのですよね。
ふと思ったんだけど、肉体を持たないタルパだったらケテルまでいけるのかしら。
まあいったとしても戻ってこられなくなっちゃうのはイヤなのだけれども。
私個人の考えなんだけど、少なくともこの後出てくるセフィラーのティファレトまではいけるんじゃないかな?って思ってるのよね。
完璧個人の感想だし、いった所で何するんじゃってのもまだ分かってないのだけど。
順調に『神秘のカバラー』について語り倒してきましたが、ここにいいことが書いてあります。
「形」とは流動的意識がしっかりとした有機体を構成して離散しなくなるまで、それを保持しておく母体である。そのとき意識は純粋存在という無形の海から分化して、個性の中核となる。(p166)
というわけで、タルパにも初めの内はしっかりとした形を定義してあげる事が大事なのではないでしょうか。
手っ取り早く形と言いますと、やはり天然石などの依り代を用意してあげる事でしょうか。
というか初めの内は依り代あった方がタルパ作りやすいと思うんすよ、やっぱり。
どうしても依り代に抵抗があって…という方であれば、容姿という形や、タルパの性格という形をしっかりと定めてあげるといいと思います。
ここで私が言ってる形って要は力を保持しておく為の器ってことです。
なので性格や能力なんていうタルパの設定も勿論形足り得ると私は思います。
まあ、タルパー的にはケテルはこんなもんでしょうか。
魔術的にケテルに興味があって物足りない方は是非『神秘のカバラー』を買ってみましょう。
ただ、実践面では『神秘のカバラー』だけでは物足りないだろうなあ…とは再三言っておきます。
ある程度瞑想、特に生命の木的な瞑想に習熟している方なんかだと『神秘のカバラー』だけでも得るものが大いにあるんだろうなあと思います。
…よし!各セフィラーごとに語り倒していくぞ~!と決めた当初はどうなることかと思いましたが、ようやくなんとか記事にすることができました。
めっちゃ行き詰ってこんなに長くお待たせしてしまい、申し訳ありません。
今後もゆっくり更新になってしまうのですが、少しずつレビューを続けていきますので、レビュー放棄だけは絶対にしないぞ~!とここに宣言しておこうと思います。
それではまた、なるべく近いうちに!(希望)
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2018年5月28日月曜日
タルパーだけど『神秘のカバラー』読んだよ!~一回目・第一部後編~
長らくお待たせしました、まだまだ続きます『神秘のカバラー』読書レビュー!(みたいなもの)
いや私としましてもあんまり長々と続けるのもどうかなあ…とは思っているのですよ。
今回の記事で第一部、つまりカバラーとは何なのか生命の木とはどういうのなのか、という部分が終わります。
この後はそれぞれのセフィラーについての考察が続くのですが、できれば第二部で一記事、第三部で一記事で終わらせたいなあ~…と思っております。
今後の希望を述べた所で早速本題に参りましょう。
前回投げたもとい長くなるからいったん区切った第七章からでございます。
第七章は、「至高の三角形」。
生命の木上に配置されたセフィラーを三角形になるような三つ組で考える事が何故大事なのか?ということについて語っている章です。
本文には
"「生命の木」とは本質的に言って、関係の、圧力の、反映の図式だからである。"(p68.4行目)
と書かれているわけですが、とりあえず図を出しましょう。
おなじみ生命の木の図です。
青い線で描かれた三つのセフィラーを頂点に持つ三角形が三つあります。
先程本文より引用した通り、生命の木とは関係の図であるので、一つのセフィラーを理解しようとする際は、その一つのセフィラーのみを考えるのではなく他のセフィラーについても考えなければならないのである!とダイアン・フォーチュン氏は力説しているわけです。
特に上記の図の中で同じ三角形に属しているセフィラー同士を考える事により、一つのセフィラーの理解が深まるのです。
勿論全てのセフィラーは結局は第一のセフィラー・ケテルから流出し、更に自分以前のセフィラーから流出してきているので、結果として全てのセフィラーは何らかの形で全てのセフィラーと関係している事になる、と思われるのですがそれはひとまず置いておきましょう。
さて、この章はそれぞれの三角形について考察する章ではありますが、三角形を考察するにはそれぞれのセフィラーについても最低限の知識がなければ説明のしようもない…ということで、この章の至る所で各セフィラーについての簡単な解説がなされています。
その為かこの章割と長い…じゃなくて、所々でいきなり各セフィラーの情報がぶち込まれます。
主に各セフィラーに割り当てられている惑星や神…だけならいいのですが、各セフィラーがカバリスト達に呼ばれている称号なんてのも出てきます。
これらのカバラー初学者には分からない称号等は、ダイアン・フォーチュン氏がここで考察する必要は無いってきっぱり言い切っちゃってます。
んじゃあどこで考察するのか?と言うと、第二章から始まる各セフィラーの考察の章で考察しているので、とりあえずここではそういった称号は置いておいて、必要が出てきたら惑星等を引き合いにだしていこうと思います。
惑星ならまだとっつきやすいはずだと信じて…!
なぜ三角形という形もしくは三つのセフィラーの組というものが一つの章を割いて説明するまでに重要視されているのかと言うと、生命の木が流出していく過程にあたり、"「対立する二極」に分化しなければ、いかなる顕現もあり得ない。"(p71)からであるのだそうで。
つまりとりあえず二つに分化しなくちゃ何も顕現しない、つまり物質世界に顕れてこないんですって!
更に言うなら、対立じゃ駄目で分化した二つを均衡させねばならないのだと出てきます。
その、分化した二極が均衡するのが三つ目のセフィラーというわけです。
つまり対立する二つと均衡させる(する)一つの、計三つのセフィラーでもって一つのグループというわけです。
分かりやすい(と思われる)均衡の図がこちらになります。
両端でゆらゆらしている○が対立する二極のセフィラー、うまくバランスをとっている△が均衡させるセフィラーです。
このゆらゆらしている○が勢い余ってぶれすぎちゃったりすると、クリフォートという生命の木が逆さまになった、悪徳たっぷりの木の方に行ってしまうんでないかな~と思いますが、クリフォートについての考察も後々の章までとっておきましょう。
また、セフィラーが流出もしくは生成されていったという過程を考えると、以下の図のように考えるのもいいんじゃないかな~…と思ったり。
①と②のセフィラーになんやかんやあってドカーンとなってにゅるっと③のセフィラーが出来上がる図です。
ごめん忘れて。
ここで一番上にあげた三角形の書かれた図を思い出していただきたいのですが、一番上の三角形だけ上向きです。
結局図を出しました。
多分言わなくても分かるんじゃないかなあ、とは思いつつも言っておきますが、この三角形だけ上向きなのは、この三角形で初めて対立する二極という概念ができあがるからです。
端折って言うとそんな感じだと思います。
これで何故生命の木において三角形もしくは三つ組が大事なのかという話はできた筈なので、私としましては先の章に進みたい気もするのですが…やはりそれぞれの三角形についての説明もしておいた方がいいのかしらん。
各々の三角形の説明は、そりゃあ真面目に魔術の道を歩む人にとっては大事だと思うのですが、それこそ『神秘のカバラー』読んだ方が早いと思うんですよ。
なのでそういう人とか興味がある人なんかは『神秘のカバラー』を読むなり自分で調べたりしてみてね!と言いつつ、ここではタルパー的になんかよさげだと思った所だけ書いていくぞ!と開き直ることにします。
ここで「じゃあ今まで長々と語ってきた一見タルパに直結しないような部分はどういう役に立つのさ?」という疑問がわくかも知れませんが、これは算数ができなきゃ物理の公式解くなんてとてもじゃないけど無理!っていうのと同じようなもんです。
何事にも、前提となる必要最低限に持っておくべき知識というものはあるのです。
似たような事をダイアン・フォーチュン氏もこの本の中で言ってました、たぶん。
さて、私が思うに、タルパー的に活かせる三角形はこれだと思うんですよ。
図にはアストラル三角形と書かれていますがこの三角形、他にも魔法の三角形と呼ばれているんですよ。
そう、魔法の三角形!なんとも魅力的な響きではありませんか!
この三角形は心霊現象に関係する潜在意識と超越意識であるとこの本にはあります。
魔術というものは潜在意識にどうにか働きかけてなんやかんやするものである、と私もどこかで言ったような気がします。
言ってなかったらごめんね。
詳細な考察はそれぞれのセフィラーでやる予定ですが、ここで簡単に触れておくと、第七のセフィラー・ネツァクは金星、第八のセフィラー・ホドは水星、第九のセフィラー・イエソドは月にそれぞれ対応しています。
金星は快楽の星、要するにここで人は嬉しいとか楽しいとか感じるわけです。
例えば、人は自分の中にある金星的部分でおいしいもの…そうだなあ、おいしいハンバーグ食べてるとこを想像して嬉しくなります。
水星は知恵の星、要するに人はここで頭を働かせます。
おいしいハンバーグを食べる想像をして嬉しくなった人は、現実にその嬉しさを味わう為に、ハンバーグのおいしいお店を探すだとかおいしいハンバーグのレシピを調べるだとか、そんな感じに頭を働かせます。
月は感情の星、実際の行動で色々感じるのはここです。
実際にハンバーグ食べておいしいなあ…とかおもってたのとちがうなあ…って結果を感じるのはここです。
ちゃうねん、金星と月どっちも感情っぽく見えると思うけど、金星はなんていうか愛と美の星でもあるんで、つまりは綺麗なもの快いものばっかりやねん。
実は私もそんなに占星術に詳しいわけではないので、正確かどうかは保証できないのですが、まあ雰囲気はだいたいこんな感じです。
魔術や魔法では、実際に現実に変化を起こしたいなら想像力で望む結果の見た目のみを想像するのみならず、望む結果を得た自分がどういう感情を持っているのかも想像した方がいい、とはよく言われているのですが、そうすることによりこの魔法の三角形を通じて物事が具現化することになるからそう言われているんです。と私は思っております。
だって生命の木は万物の造られる過程を表したものなんですから、これを使わない手なんてありませんぜ。
この辺りは、というよりも生命の木について初めて触れるのであれば占星術の知識があるとかなり有利です。
理解を深めていくとなると占星術の知識は必須!となるのですが。
なんだかんだ言って惑星は象徴としてタルパに取り入れるのも自分のタルパを考察するのにもお役立ちなので、ちょっとずつ学んでいくのはいかがでしょうか?
ううむ、やはり簡潔な説明なので色々足りない所があるなあ…。
まあそれは各々のセフィラーの解説の際にすることにして、先に進みましょう。
最後に、これは大事だなあと思いつつもどこに入れればいいか分からなかったのでここに入れておきますが、クロウリーいわく、木はカード検索ファイルで木に割り当てられる象徴はその封筒にあたるのだとか。
この概念があると木の扱い方がかなりいい感じになると思います!
次は第八章、「木」の原形。
ここは木の上にセフィロートを割り当てる方法は色々あるんだよ、と言いながら10のセフィラーを三つ、四つ、七つのグループに分ける方法について論じられています。
が、今の私的にはそんなにタルパに活かせる気がしないなあ…と端折りたくなる章です。
セフィラーをグループ分けする方法が色々あると何がいいかというと、カバラー以外の体系と対応づけることができるのだそうです。
つまり何でもかんでも生命の木に集約もしくは分類する場合にお役立ち、というわけです。
あとは、そうだなあ、前の章でもあったけどこの記事内で書いてないのが、生命の木においては力と形というこの二つが基本単位(単位でいいのかな…)という話ですね。
生命の木の各セフィラーは三本の柱にそれぞれ割り当てられています。
図の赤い縦線が柱です。
左の柱が峻厳の柱で、この柱に乗っているセフィラーは形のセフィラーに当たります。
右の柱が慈悲の柱で、この柱に乗っているセフィラーは力のセフィラーに当たります。
中央の柱はそのまま中央の柱で、この柱に乗っているセフィラーは力と形の均衡しているセフィラーになります。
二極に分化しなければ顕現はありえない!と先の章にもありましたね。
この、力と形という二極の作用によって物理世界が形作られているわけです。
力と形については、純粋な力を表すコクマー、純粋な形を表すビナーでじっくりねっとりやることにします。
…こんなもんでいいかしら?
はしょった内容が知りたい!という君は、是非『神秘のカバラー』を読もうな。
気を取り直しまして次は第九章、「四つの世界」における「十のセフィロート」。
ここでいう四つの世界とは、アツィルト界、ブリアー界、イエツィラー界、アッシャー界の四つを指します。
何でもこの四つの世界は霊的発展に大事なのだそうですが…タルパを霊的に発展させる方法に興味が無いとは言わないけど、まだそこに手をつけるのは早くね?というのが主な理由で消極的です。
タルパも魔術、と言いますかオカルト技能な時点でいつかは自分自身も霊的向上に努める事になるのかもなあ…と思ったりはしなくもないのですが、何事も物事には段階というものがありますし。
少なくとも私はカバラーを己の体系としたいわけでもないですしねえ。
というわけで、ここは割とカバラーをがっつり修行したい人には必須な世界観ではありますが、現時点のこのブログではさらりと流すことにします。
先に挙げた四つの世界、何が違うのかというと神の力の働き方が違います。
神ってまとめちゃうと紛らわしいのですが、カバラー的世界観ではどの道絶対的な一者のお力でこの世界は成り立っているので、そこはファジーに受け止めておいてください。
アツィルト界は神の力がダイレクトに働く世界です。
神の力がダイレクトに働くといっても神自らが汗水たらしてレンガを積み上げたりといった創作活動に励むわけではなく、神は設計者である、というようなことがこの本の中で書かれています。
つまりこのアツィルト界で万物の設計がなされ、後の界で実際に万物が組み立てられ運用されていくわけです。
これを踏まえてブリアー界は神の命を受けた大天使もしくは強力な霊が働く世界です。
更に下ったイエツィラー界は天使の軍勢が働く世界です。
どっちも天使が働く世界じゃ…?と混乱するかもしれませんが、ブリアー界の大天使は現場監督やもしくは会社の部長等のちょっと立場が上の指示出し層で、イエツィラー界の天使の軍勢はとかく肉体労働系の実働部隊です。
そしてアッシャー界は実際に万物が組み立てられ運用されている現実世界!
ここで働いているのは天使や神、ではなくて自然界の諸力です。
まあカバラー的には自然も神の創造物なわけで、結果として神の力が働いているといえなくもないでしょう。
さて、章題からはちょっと離れるけどタルパー的には興味があるであろう部分がいくつかこの章にはあります。
この本に何度も出てくる象徴とは一体何かと言うと、今ここで書こうとしている事柄的には、滅茶苦茶ざっくり言ってある力を喚起する為に用いるもの、という説明でいいかと思います。
逆に象徴がどのような理由で誕生するのかというと、"いろいろな型といろいろな次元の宇宙的な力の異なった顕現様態を現わすために形成されたのである。"(p99)とあります。
そして象徴の誕生経緯は、まず自然の要因・諸力の一部分を取り上げ、擬人化し、名前をつけ、そして象徴を作ることにより取り上げた自然の要因を魔術的作業において扱えるようにするのです。
この時点でタルパー的にはワクワクしてきませんか?
更に、そうやって擬人化され崇拝されてきたものは、アストラル界にそれを現わす思念像が形成されるそうですよ!
その上、この思念像に力を満たせば人工的な四大的存在になるともあります。
満たす力が宇宙的な力であるのならば天使的存在になるのだともあります。
"それゆえ天使的存在とは心霊的意識に明白に顕現する宇宙的な力であり、人間の想像力が形成した形姿なのである。"(p100)
さあ、タルパー的にはこの辺もうたまらないのではありませんか!?
私はたまりませんとも!ぐへへ。
この辺りはタルパを(魔術理論的に)作ろうとする際にも、タルパに力を持たせ引き寄せ願望実現その他タルパーの魔術的作業に付き合わせる際にも大いに参考になるかと思います。
というか参考にしよ?
この章については、今回はこんなものでしょうか。
折角この記事にも一回目と銘打ってあるわけですから、より詳細な考察は二回目以降に頑張ります。
テンション上がった所で第十章、「木」の「小径」。
この章ではご覧の通り、いわゆる生命の木のパス、ここでは小径と呼ばれているものの考察がなされています。
とはいうものの、それぞれのパスがどういうものなのかじっくり考察…という形ではなくて、パスというものはそもそも何なのか?という形の考察です。
ここ、そんなにタルパー的に琴線に触れない上に、瞑想に使う時の実践的教示は行うつもりだけど魔法の「実践カバラー」について書く気は無いよ!って明言されてるのもここなんですよね…。
なので木を瞑想で使う際にはここもしっかり読んでおいた方がよいとは思いますが、その先の魔術的作業をする際は密儀うけてね!って形になっているので、ちょっと拍子抜けかもしれません。
あと、ここで語られているパス・小径というものは22本あり、タロットの大アルカナにそれぞれ対応づけられています。
小アルカナは各セフィラーにそれぞれ対応づけられています。
というのも、今現在一般的に広く知られている(であろう)ウェイト版タロットは、そもそも元々のマルセイユ版タロットを生命の木に対応づけられるように改造したもの(だと私は認識しております)なので、当然といえば当然なのですよね。
なので、この章もしくはこの本の中でダイアン・フォーチュン氏は、タロットこそは神秘の収められた知識の書である!(※私個人の感想です)みたいに言っているのですが、それには時代背景もあるよなあ…と思っております。
まあタロット自体そういう背景で作られたものですので、タロットをお使いになる方は生命の木を学んでおくと、自身の占いにぐっと深みが出ると思われます。
また、タロットで出た結果に対して、生命の木を用いた魔術的作業を行うことにより、結果を補償したり強化したりと様々な干渉ができるようになります。
むしろそっちが真骨頂です。
ちょっとそういうの憧れるなあ、と私は思います。
また、本文中ではアストロロジーと呼ばれているつまりは占星術も生命の木を抜きにはありえない!とあります。
生命の木、アストロロジー、タロットの三つは、同じ体系の三つの局面である、とあります。
なので占星術をやっている方も生命の木を以下略。
ここではあまり占星術について(この本の中でも)あまり取り上げていないので、是非ご自分で調べてみてくださいね。
ようやく終わりが見えてきたかもしれない第十一章は、主観的「セフィロート」。
主観的セフィロートってなんやねんっていうとつまりは生命の木を人間に重ね合わせて考えることです。
よく魔術の世界で言われるのが、「上の如く、下も然り」という言葉です。
この言葉は本当に頻出なのでここで覚えて帰ってくださいね~。
この言葉は、マクロコスモス、つまり宇宙的にスケールの大きな世界で起こっていることは、ミクロコスモス、つまりはちっぽけな人間にも反映されているんだよ、ということです。
突き詰めれば逆もまた真なのかもしれませんがここでは置いておきます。
天体の位置や動きが人間や国の性格や動きに影響する、という占星術の考えはこの概念からくるものです。
さて、この章では各セフィラーが人間の物理的な上でも精神的な上でもどの部分に対応しているのかと、ヨーガとの配当について主に考察されています。
…ぶっちゃけこれを語るには知識が足りない、といいますかどうせ後で各セフィラーの章でも対応出てきますので、今回は!置いておきます!!!
いいね!?
そして次は第十二章、「木」の神々。
この章ではキリスト教から見た異教の神々…つまりはギリシャ神話やローマ神話やエジプト神話等の神々を各セフィラーに対応づけることについての考察がなされています。
これは私の個人的な苦言なのですが、私キリスト教のこういう異教とか言っちゃうとこあんまり好きではないんですよね。
まったくもう!ぷんすこ!
まあこれはダイアン・フォーチュン氏の書き方とか日本語訳の際の言葉選びなんかの問題かもしれないので、あんまり目くじらを立てるのはやめておきましょう。
さて、自然の諸力を人格化及び神格化したものが神々である…というのはさっき似たような事を書いたような気がしますね、うん。
また、そうした神々を象徴的に扱うことにより、人の潜在意識になんやかんやして…というのもさっき似たような事を書いた気がしますね。
あとアストロロジー・占星術ではそれぞれの惑星と○○座が重要になってくるわけですが、そのどちらにもまつわる神・まつわる神話が割り当てられているのは流石にみなさんご存知だと思います。
先程も書いたように、アストロロジーと生命の木は同じ体系の異なる局面である、ということは、占星術についての知識でもって生命の木に神々を割り当てることもできるということなのです。
…占星術、ちょっとずつでいいからやっていこうね。
この章もこんなものでいいでしょう。
ようやく第一部ラストの第十三章は、「木」に対する実践行。
ここまで長かった…長かったけどこの章も他の章と比べてまた長いんだわ…。
確かに実践について語っている章なので大事!だとは思うのですが、ダイアン・フォーチュン氏が魔法の実践カバラーについて詳しく書く気は無いよ!と名言している事もありますので、何とか短くまとめるよう、努力します!
とにかくダイアン・フォーチュン氏は実践は密儀を受けないでやると危ないから、一人で木に取り組む場合は瞑想でちょっとずつやっていこうな!瞑想やってて生命の木の深奥に触れてセルフイニシエーションつまり自己密儀参入をはたすのは全然構わないからさ!というスタンスなので、"以下の頁で、私は全力をあげて魔法の象徴体系を利用する際に働いているいくつかの原理を明らかにするつもりである。"(p130)というダイアン・フォーチュン氏の言葉は中々に頼もしいものだと思います。
というかこの人実は語りたくてたまらないんじゃね?と本文の熱量を読んでて思ったりもしますが、まあそれは置いておきましょう。
これまで象徴、象徴とこの本の中で何度も出てきた為、象徴がとっても大事なものだということはここまで読んでこられた方にとっては明らかな事だと思います。
そのとっっっても大事な象徴とさてどう向き合っていけばいいのか?ということもこの章では語られています。
本の中ではただ象徴を知識として知っているだけではだめで、その象徴と接触して実際に知っておく必要があるのだ、とあります。
要はその象徴に対して自分の中にその象徴を用いる事で得られた体験を積み上げていけ!ということではないかと私は思います。
生命の木には木の上には図示されていないダートというセフィラーがあるのですが、このダートは知識のセフィラーだと言われています。
知識を知ってるだけじゃだめだ~という部分は、知識のセフィラーであるダートが隠されている理由にも繋がってきそうな気が私にはしてくるのですが、皆様はいかがでしょうか。
知識はしっかりと自分の中に消化吸収して、自分の血肉として実際に扱えるようになるのが大事なのだ~!ということは、私いつも心に留めておいているつもりであります。
ダートの事は置いておいて、このことについてこの本の中に良い例えがあるので引用しましょう。
"魔法においては、ヴァイオリンを弾く時のように「自分の音を作り出す」必要がある。ピアノのように既製の音を見つける訳にはいかない。"(p130)
実に良い例えだと思いませんか?
ヴァイオリンってとこがちょっとなじみがないかも知れませんが、ヴァイオリンがピアノみたいに決まったキーを押せば決まった音が出る楽器ではないことは想像に難くないと思います。
めちゃくちゃ雑にかつスケール大きく言い換えるのであれば、魔法は一人一体系!一流派!ということです。
象徴や、セフィラーやパスといった生命の木の各部に接触する方法として、この本では瞑想を猛プッシュしているのですが、瞑想までいかなくてもいんじゃね?って私は思うのですよ。
なにぶん私は瞑想が苦手でね…瞑想が苦手というよりは瞑想をした後になんかやたらと気が滅入るんですよ私。
どこだったか忘れてしまったのですが、外国の研究機関で行われた研究によると、瞑想の後にネガティブになってしまう人というのも一定数いるらしいのですよ。
気になる人は自分で調べてみてくださいね。
まあ確かその研究でどんなタイプの瞑想が行われたか書いてなかった気がするので、全ての瞑想で気が滅入る、というわけではないのでしょうが、無理に瞑想にこだわる必要も無いと思います。
だってダイアン・フォーチュン氏も自分の音を作り出せって言ってるわけですし。
じゃあ瞑想以外にどんな方法で象徴その他に接触すればええねん!?と言いますと、私個人の考えでいいのであれば、とにかくその象徴についての知識を集めまくるのと同時に、その象徴に対して自分はどういう感覚を覚えるのか?ということを自分の内に求める事だと思います。
簡単に言えば、自分の内にあるものでその象徴に対して自分なりの説明つけて扱えるようにしろってことです。
集めた知識は自分なりの説明つけるための素材です。
人間なんて自分の内に無いものは扱えないもんなんですよ。
だから知識という素材を集めるのは大事、いいね?
知識を集めて君だけのオリジナルデッキをつくろう!(トレーディングカードゲーム感)
象徴に限らず、取り込んだ知識をあれやこれやとこねくり回すのは様々な事象に対して有効です。
こねくり回している内に、自分のすでに持っている思わぬものとの関連性が湧き上がってくるかもしれません。
この、突拍子もない関連付けができるということが賢いって事なんじゃないかなあ…と私はぼんやりと思うわけです。
あるいはこれこそが生命の木という体系を用いる理由なのかもしれません。
ていうか生命の木は関係の図だっていうんだから、これができるように生命の木を使って鍛えようぜ!っていう話なのかもです。
生命の木を使えばある程度象徴の関係性が限定されますので、それこそクロウリーの言うようにカード検索ファイルとして扱いやすいと思います。
あとこの章の後半部には、植物や鉱物、または香り等をセフィロートに対応づける方法についての考察がさらりとなされているのですが、これはここで書かなくてもいいよね?
気になるだろうとは思うのですが、この辺はそれこそ他の本を用意した方がいいと思います。
ちなみにこの本の中では鉱物の部分、つまり石の対応について考察している部分に書かれている「水晶」という単語は、鉱物としての水晶を指すのではなく天然石全般としての「クリスタル」の事を指すのではないかなあ、と思います。
紛らわしい事に、英語だとどっちもクリスタルって言うんですよね。
これでようやく第一部については語り倒せたと思います。
私の未熟さゆえに不足な部分はあれど、現時点の私的には十分語り倒せたと思います。
次なる第二部からは各セフィラーの考察に入っていくことになります。
『神秘のカバラー』では各セフィラーの考察に入る前の第一部の時点でちょくちょく各セフィラーについて言及しているのでもどかしいったらありゃしないのですが、これでようやく各セフィラーについてのまとまった情報が手に入るってもんです。
各セフィラーについての理解を深めた後で第一部に戻ってみると、格段に読みやすくなると思いますぜ。
それではまた次回!
いや私としましてもあんまり長々と続けるのもどうかなあ…とは思っているのですよ。
今回の記事で第一部、つまりカバラーとは何なのか生命の木とはどういうのなのか、という部分が終わります。
この後はそれぞれのセフィラーについての考察が続くのですが、できれば第二部で一記事、第三部で一記事で終わらせたいなあ~…と思っております。
今後の希望を述べた所で早速本題に参りましょう。
前回投げたもとい長くなるからいったん区切った第七章からでございます。
第七章は、「至高の三角形」。
生命の木上に配置されたセフィラーを三角形になるような三つ組で考える事が何故大事なのか?ということについて語っている章です。
本文には
"「生命の木」とは本質的に言って、関係の、圧力の、反映の図式だからである。"(p68.4行目)
と書かれているわけですが、とりあえず図を出しましょう。
おなじみ生命の木の図です。
青い線で描かれた三つのセフィラーを頂点に持つ三角形が三つあります。
先程本文より引用した通り、生命の木とは関係の図であるので、一つのセフィラーを理解しようとする際は、その一つのセフィラーのみを考えるのではなく他のセフィラーについても考えなければならないのである!とダイアン・フォーチュン氏は力説しているわけです。
特に上記の図の中で同じ三角形に属しているセフィラー同士を考える事により、一つのセフィラーの理解が深まるのです。
勿論全てのセフィラーは結局は第一のセフィラー・ケテルから流出し、更に自分以前のセフィラーから流出してきているので、結果として全てのセフィラーは何らかの形で全てのセフィラーと関係している事になる、と思われるのですがそれはひとまず置いておきましょう。
さて、この章はそれぞれの三角形について考察する章ではありますが、三角形を考察するにはそれぞれのセフィラーについても最低限の知識がなければ説明のしようもない…ということで、この章の至る所で各セフィラーについての簡単な解説がなされています。
その為かこの章割と長い…じゃなくて、所々でいきなり各セフィラーの情報がぶち込まれます。
主に各セフィラーに割り当てられている惑星や神…だけならいいのですが、各セフィラーがカバリスト達に呼ばれている称号なんてのも出てきます。
これらのカバラー初学者には分からない称号等は、ダイアン・フォーチュン氏がここで考察する必要は無いってきっぱり言い切っちゃってます。
んじゃあどこで考察するのか?と言うと、第二章から始まる各セフィラーの考察の章で考察しているので、とりあえずここではそういった称号は置いておいて、必要が出てきたら惑星等を引き合いにだしていこうと思います。
惑星ならまだとっつきやすいはずだと信じて…!
なぜ三角形という形もしくは三つのセフィラーの組というものが一つの章を割いて説明するまでに重要視されているのかと言うと、生命の木が流出していく過程にあたり、"「対立する二極」に分化しなければ、いかなる顕現もあり得ない。"(p71)からであるのだそうで。
つまりとりあえず二つに分化しなくちゃ何も顕現しない、つまり物質世界に顕れてこないんですって!
更に言うなら、対立じゃ駄目で分化した二つを均衡させねばならないのだと出てきます。
その、分化した二極が均衡するのが三つ目のセフィラーというわけです。
つまり対立する二つと均衡させる(する)一つの、計三つのセフィラーでもって一つのグループというわけです。
分かりやすい(と思われる)均衡の図がこちらになります。
両端でゆらゆらしている○が対立する二極のセフィラー、うまくバランスをとっている△が均衡させるセフィラーです。
このゆらゆらしている○が勢い余ってぶれすぎちゃったりすると、クリフォートという生命の木が逆さまになった、悪徳たっぷりの木の方に行ってしまうんでないかな~と思いますが、クリフォートについての考察も後々の章までとっておきましょう。
また、セフィラーが流出もしくは生成されていったという過程を考えると、以下の図のように考えるのもいいんじゃないかな~…と思ったり。
①と②のセフィラーになんやかんやあってドカーンとなってにゅるっと③のセフィラーが出来上がる図です。
ごめん忘れて。
ここで一番上にあげた三角形の書かれた図を思い出していただきたいのですが、一番上の三角形だけ上向きです。
結局図を出しました。
多分言わなくても分かるんじゃないかなあ、とは思いつつも言っておきますが、この三角形だけ上向きなのは、この三角形で初めて対立する二極という概念ができあがるからです。
端折って言うとそんな感じだと思います。
これで何故生命の木において三角形もしくは三つ組が大事なのかという話はできた筈なので、私としましては先の章に進みたい気もするのですが…やはりそれぞれの三角形についての説明もしておいた方がいいのかしらん。
各々の三角形の説明は、そりゃあ真面目に魔術の道を歩む人にとっては大事だと思うのですが、それこそ『神秘のカバラー』読んだ方が早いと思うんですよ。
なのでそういう人とか興味がある人なんかは『神秘のカバラー』を読むなり自分で調べたりしてみてね!と言いつつ、ここではタルパー的になんかよさげだと思った所だけ書いていくぞ!と開き直ることにします。
ここで「じゃあ今まで長々と語ってきた一見タルパに直結しないような部分はどういう役に立つのさ?」という疑問がわくかも知れませんが、これは算数ができなきゃ物理の公式解くなんてとてもじゃないけど無理!っていうのと同じようなもんです。
何事にも、前提となる必要最低限に持っておくべき知識というものはあるのです。
似たような事をダイアン・フォーチュン氏もこの本の中で言ってました、たぶん。
さて、私が思うに、タルパー的に活かせる三角形はこれだと思うんですよ。
図にはアストラル三角形と書かれていますがこの三角形、他にも魔法の三角形と呼ばれているんですよ。
そう、魔法の三角形!なんとも魅力的な響きではありませんか!
この三角形は心霊現象に関係する潜在意識と超越意識であるとこの本にはあります。
魔術というものは潜在意識にどうにか働きかけてなんやかんやするものである、と私もどこかで言ったような気がします。
言ってなかったらごめんね。
詳細な考察はそれぞれのセフィラーでやる予定ですが、ここで簡単に触れておくと、第七のセフィラー・ネツァクは金星、第八のセフィラー・ホドは水星、第九のセフィラー・イエソドは月にそれぞれ対応しています。
金星は快楽の星、要するにここで人は嬉しいとか楽しいとか感じるわけです。
例えば、人は自分の中にある金星的部分でおいしいもの…そうだなあ、おいしいハンバーグ食べてるとこを想像して嬉しくなります。
水星は知恵の星、要するに人はここで頭を働かせます。
おいしいハンバーグを食べる想像をして嬉しくなった人は、現実にその嬉しさを味わう為に、ハンバーグのおいしいお店を探すだとかおいしいハンバーグのレシピを調べるだとか、そんな感じに頭を働かせます。
月は感情の星、実際の行動で色々感じるのはここです。
実際にハンバーグ食べておいしいなあ…とかおもってたのとちがうなあ…って結果を感じるのはここです。
ちゃうねん、金星と月どっちも感情っぽく見えると思うけど、金星はなんていうか愛と美の星でもあるんで、つまりは綺麗なもの快いものばっかりやねん。
実は私もそんなに占星術に詳しいわけではないので、正確かどうかは保証できないのですが、まあ雰囲気はだいたいこんな感じです。
魔術や魔法では、実際に現実に変化を起こしたいなら想像力で望む結果の見た目のみを想像するのみならず、望む結果を得た自分がどういう感情を持っているのかも想像した方がいい、とはよく言われているのですが、そうすることによりこの魔法の三角形を通じて物事が具現化することになるからそう言われているんです。と私は思っております。
だって生命の木は万物の造られる過程を表したものなんですから、これを使わない手なんてありませんぜ。
この辺りは、というよりも生命の木について初めて触れるのであれば占星術の知識があるとかなり有利です。
理解を深めていくとなると占星術の知識は必須!となるのですが。
なんだかんだ言って惑星は象徴としてタルパに取り入れるのも自分のタルパを考察するのにもお役立ちなので、ちょっとずつ学んでいくのはいかがでしょうか?
ううむ、やはり簡潔な説明なので色々足りない所があるなあ…。
まあそれは各々のセフィラーの解説の際にすることにして、先に進みましょう。
最後に、これは大事だなあと思いつつもどこに入れればいいか分からなかったのでここに入れておきますが、クロウリーいわく、木はカード検索ファイルで木に割り当てられる象徴はその封筒にあたるのだとか。
この概念があると木の扱い方がかなりいい感じになると思います!
次は第八章、「木」の原形。
ここは木の上にセフィロートを割り当てる方法は色々あるんだよ、と言いながら10のセフィラーを三つ、四つ、七つのグループに分ける方法について論じられています。
が、今の私的にはそんなにタルパに活かせる気がしないなあ…と端折りたくなる章です。
セフィラーをグループ分けする方法が色々あると何がいいかというと、カバラー以外の体系と対応づけることができるのだそうです。
つまり何でもかんでも生命の木に集約もしくは分類する場合にお役立ち、というわけです。
あとは、そうだなあ、前の章でもあったけどこの記事内で書いてないのが、生命の木においては力と形というこの二つが基本単位(単位でいいのかな…)という話ですね。
生命の木の各セフィラーは三本の柱にそれぞれ割り当てられています。
図の赤い縦線が柱です。
左の柱が峻厳の柱で、この柱に乗っているセフィラーは形のセフィラーに当たります。
右の柱が慈悲の柱で、この柱に乗っているセフィラーは力のセフィラーに当たります。
中央の柱はそのまま中央の柱で、この柱に乗っているセフィラーは力と形の均衡しているセフィラーになります。
二極に分化しなければ顕現はありえない!と先の章にもありましたね。
この、力と形という二極の作用によって物理世界が形作られているわけです。
力と形については、純粋な力を表すコクマー、純粋な形を表すビナーでじっくりねっとりやることにします。
…こんなもんでいいかしら?
はしょった内容が知りたい!という君は、是非『神秘のカバラー』を読もうな。
気を取り直しまして次は第九章、「四つの世界」における「十のセフィロート」。
ここでいう四つの世界とは、アツィルト界、ブリアー界、イエツィラー界、アッシャー界の四つを指します。
何でもこの四つの世界は霊的発展に大事なのだそうですが…タルパを霊的に発展させる方法に興味が無いとは言わないけど、まだそこに手をつけるのは早くね?というのが主な理由で消極的です。
タルパも魔術、と言いますかオカルト技能な時点でいつかは自分自身も霊的向上に努める事になるのかもなあ…と思ったりはしなくもないのですが、何事も物事には段階というものがありますし。
少なくとも私はカバラーを己の体系としたいわけでもないですしねえ。
というわけで、ここは割とカバラーをがっつり修行したい人には必須な世界観ではありますが、現時点のこのブログではさらりと流すことにします。
先に挙げた四つの世界、何が違うのかというと神の力の働き方が違います。
神ってまとめちゃうと紛らわしいのですが、カバラー的世界観ではどの道絶対的な一者のお力でこの世界は成り立っているので、そこはファジーに受け止めておいてください。
アツィルト界は神の力がダイレクトに働く世界です。
神の力がダイレクトに働くといっても神自らが汗水たらしてレンガを積み上げたりといった創作活動に励むわけではなく、神は設計者である、というようなことがこの本の中で書かれています。
つまりこのアツィルト界で万物の設計がなされ、後の界で実際に万物が組み立てられ運用されていくわけです。
これを踏まえてブリアー界は神の命を受けた大天使もしくは強力な霊が働く世界です。
更に下ったイエツィラー界は天使の軍勢が働く世界です。
どっちも天使が働く世界じゃ…?と混乱するかもしれませんが、ブリアー界の大天使は現場監督やもしくは会社の部長等のちょっと立場が上の指示出し層で、イエツィラー界の天使の軍勢はとかく肉体労働系の実働部隊です。
そしてアッシャー界は実際に万物が組み立てられ運用されている現実世界!
ここで働いているのは天使や神、ではなくて自然界の諸力です。
まあカバラー的には自然も神の創造物なわけで、結果として神の力が働いているといえなくもないでしょう。
さて、章題からはちょっと離れるけどタルパー的には興味があるであろう部分がいくつかこの章にはあります。
この本に何度も出てくる象徴とは一体何かと言うと、今ここで書こうとしている事柄的には、滅茶苦茶ざっくり言ってある力を喚起する為に用いるもの、という説明でいいかと思います。
逆に象徴がどのような理由で誕生するのかというと、"いろいろな型といろいろな次元の宇宙的な力の異なった顕現様態を現わすために形成されたのである。"(p99)とあります。
そして象徴の誕生経緯は、まず自然の要因・諸力の一部分を取り上げ、擬人化し、名前をつけ、そして象徴を作ることにより取り上げた自然の要因を魔術的作業において扱えるようにするのです。
この時点でタルパー的にはワクワクしてきませんか?
更に、そうやって擬人化され崇拝されてきたものは、アストラル界にそれを現わす思念像が形成されるそうですよ!
その上、この思念像に力を満たせば人工的な四大的存在になるともあります。
満たす力が宇宙的な力であるのならば天使的存在になるのだともあります。
"それゆえ天使的存在とは心霊的意識に明白に顕現する宇宙的な力であり、人間の想像力が形成した形姿なのである。"(p100)
さあ、タルパー的にはこの辺もうたまらないのではありませんか!?
私はたまりませんとも!ぐへへ。
この辺りはタルパを(魔術理論的に)作ろうとする際にも、タルパに力を持たせ引き寄せ願望実現その他タルパーの魔術的作業に付き合わせる際にも大いに参考になるかと思います。
というか参考にしよ?
この章については、今回はこんなものでしょうか。
折角この記事にも一回目と銘打ってあるわけですから、より詳細な考察は二回目以降に頑張ります。
テンション上がった所で第十章、「木」の「小径」。
この章ではご覧の通り、いわゆる生命の木のパス、ここでは小径と呼ばれているものの考察がなされています。
とはいうものの、それぞれのパスがどういうものなのかじっくり考察…という形ではなくて、パスというものはそもそも何なのか?という形の考察です。
ここ、そんなにタルパー的に琴線に触れない上に、瞑想に使う時の実践的教示は行うつもりだけど魔法の「実践カバラー」について書く気は無いよ!って明言されてるのもここなんですよね…。
なので木を瞑想で使う際にはここもしっかり読んでおいた方がよいとは思いますが、その先の魔術的作業をする際は密儀うけてね!って形になっているので、ちょっと拍子抜けかもしれません。
あと、ここで語られているパス・小径というものは22本あり、タロットの大アルカナにそれぞれ対応づけられています。
小アルカナは各セフィラーにそれぞれ対応づけられています。
というのも、今現在一般的に広く知られている(であろう)ウェイト版タロットは、そもそも元々のマルセイユ版タロットを生命の木に対応づけられるように改造したもの(だと私は認識しております)なので、当然といえば当然なのですよね。
なので、この章もしくはこの本の中でダイアン・フォーチュン氏は、タロットこそは神秘の収められた知識の書である!(※私個人の感想です)みたいに言っているのですが、それには時代背景もあるよなあ…と思っております。
まあタロット自体そういう背景で作られたものですので、タロットをお使いになる方は生命の木を学んでおくと、自身の占いにぐっと深みが出ると思われます。
また、タロットで出た結果に対して、生命の木を用いた魔術的作業を行うことにより、結果を補償したり強化したりと様々な干渉ができるようになります。
むしろそっちが真骨頂です。
ちょっとそういうの憧れるなあ、と私は思います。
また、本文中ではアストロロジーと呼ばれているつまりは占星術も生命の木を抜きにはありえない!とあります。
生命の木、アストロロジー、タロットの三つは、同じ体系の三つの局面である、とあります。
なので占星術をやっている方も生命の木を以下略。
ここではあまり占星術について(この本の中でも)あまり取り上げていないので、是非ご自分で調べてみてくださいね。
ようやく終わりが見えてきたかもしれない第十一章は、主観的「セフィロート」。
主観的セフィロートってなんやねんっていうとつまりは生命の木を人間に重ね合わせて考えることです。
よく魔術の世界で言われるのが、「上の如く、下も然り」という言葉です。
この言葉は本当に頻出なのでここで覚えて帰ってくださいね~。
この言葉は、マクロコスモス、つまり宇宙的にスケールの大きな世界で起こっていることは、ミクロコスモス、つまりはちっぽけな人間にも反映されているんだよ、ということです。
突き詰めれば逆もまた真なのかもしれませんがここでは置いておきます。
天体の位置や動きが人間や国の性格や動きに影響する、という占星術の考えはこの概念からくるものです。
さて、この章では各セフィラーが人間の物理的な上でも精神的な上でもどの部分に対応しているのかと、ヨーガとの配当について主に考察されています。
…ぶっちゃけこれを語るには知識が足りない、といいますかどうせ後で各セフィラーの章でも対応出てきますので、今回は!置いておきます!!!
いいね!?
そして次は第十二章、「木」の神々。
この章ではキリスト教から見た異教の神々…つまりはギリシャ神話やローマ神話やエジプト神話等の神々を各セフィラーに対応づけることについての考察がなされています。
これは私の個人的な苦言なのですが、私キリスト教のこういう異教とか言っちゃうとこあんまり好きではないんですよね。
まったくもう!ぷんすこ!
まあこれはダイアン・フォーチュン氏の書き方とか日本語訳の際の言葉選びなんかの問題かもしれないので、あんまり目くじらを立てるのはやめておきましょう。
さて、自然の諸力を人格化及び神格化したものが神々である…というのはさっき似たような事を書いたような気がしますね、うん。
また、そうした神々を象徴的に扱うことにより、人の潜在意識になんやかんやして…というのもさっき似たような事を書いた気がしますね。
あとアストロロジー・占星術ではそれぞれの惑星と○○座が重要になってくるわけですが、そのどちらにもまつわる神・まつわる神話が割り当てられているのは流石にみなさんご存知だと思います。
先程も書いたように、アストロロジーと生命の木は同じ体系の異なる局面である、ということは、占星術についての知識でもって生命の木に神々を割り当てることもできるということなのです。
…占星術、ちょっとずつでいいからやっていこうね。
この章もこんなものでいいでしょう。
ようやく第一部ラストの第十三章は、「木」に対する実践行。
ここまで長かった…長かったけどこの章も他の章と比べてまた長いんだわ…。
確かに実践について語っている章なので大事!だとは思うのですが、ダイアン・フォーチュン氏が魔法の実践カバラーについて詳しく書く気は無いよ!と名言している事もありますので、何とか短くまとめるよう、努力します!
とにかくダイアン・フォーチュン氏は実践は密儀を受けないでやると危ないから、一人で木に取り組む場合は瞑想でちょっとずつやっていこうな!瞑想やってて生命の木の深奥に触れてセルフイニシエーションつまり自己密儀参入をはたすのは全然構わないからさ!というスタンスなので、"以下の頁で、私は全力をあげて魔法の象徴体系を利用する際に働いているいくつかの原理を明らかにするつもりである。"(p130)というダイアン・フォーチュン氏の言葉は中々に頼もしいものだと思います。
というかこの人実は語りたくてたまらないんじゃね?と本文の熱量を読んでて思ったりもしますが、まあそれは置いておきましょう。
これまで象徴、象徴とこの本の中で何度も出てきた為、象徴がとっても大事なものだということはここまで読んでこられた方にとっては明らかな事だと思います。
そのとっっっても大事な象徴とさてどう向き合っていけばいいのか?ということもこの章では語られています。
本の中ではただ象徴を知識として知っているだけではだめで、その象徴と接触して実際に知っておく必要があるのだ、とあります。
要はその象徴に対して自分の中にその象徴を用いる事で得られた体験を積み上げていけ!ということではないかと私は思います。
生命の木には木の上には図示されていないダートというセフィラーがあるのですが、このダートは知識のセフィラーだと言われています。
知識を知ってるだけじゃだめだ~という部分は、知識のセフィラーであるダートが隠されている理由にも繋がってきそうな気が私にはしてくるのですが、皆様はいかがでしょうか。
知識はしっかりと自分の中に消化吸収して、自分の血肉として実際に扱えるようになるのが大事なのだ~!ということは、私いつも心に留めておいているつもりであります。
ダートの事は置いておいて、このことについてこの本の中に良い例えがあるので引用しましょう。
"魔法においては、ヴァイオリンを弾く時のように「自分の音を作り出す」必要がある。ピアノのように既製の音を見つける訳にはいかない。"(p130)
実に良い例えだと思いませんか?
ヴァイオリンってとこがちょっとなじみがないかも知れませんが、ヴァイオリンがピアノみたいに決まったキーを押せば決まった音が出る楽器ではないことは想像に難くないと思います。
めちゃくちゃ雑にかつスケール大きく言い換えるのであれば、魔法は一人一体系!一流派!ということです。
象徴や、セフィラーやパスといった生命の木の各部に接触する方法として、この本では瞑想を猛プッシュしているのですが、瞑想までいかなくてもいんじゃね?って私は思うのですよ。
なにぶん私は瞑想が苦手でね…瞑想が苦手というよりは瞑想をした後になんかやたらと気が滅入るんですよ私。
どこだったか忘れてしまったのですが、外国の研究機関で行われた研究によると、瞑想の後にネガティブになってしまう人というのも一定数いるらしいのですよ。
気になる人は自分で調べてみてくださいね。
まあ確かその研究でどんなタイプの瞑想が行われたか書いてなかった気がするので、全ての瞑想で気が滅入る、というわけではないのでしょうが、無理に瞑想にこだわる必要も無いと思います。
だってダイアン・フォーチュン氏も自分の音を作り出せって言ってるわけですし。
じゃあ瞑想以外にどんな方法で象徴その他に接触すればええねん!?と言いますと、私個人の考えでいいのであれば、とにかくその象徴についての知識を集めまくるのと同時に、その象徴に対して自分はどういう感覚を覚えるのか?ということを自分の内に求める事だと思います。
簡単に言えば、自分の内にあるものでその象徴に対して自分なりの説明つけて扱えるようにしろってことです。
集めた知識は自分なりの説明つけるための素材です。
人間なんて自分の内に無いものは扱えないもんなんですよ。
だから知識という素材を集めるのは大事、いいね?
知識を集めて君だけのオリジナルデッキをつくろう!(トレーディングカードゲーム感)
象徴に限らず、取り込んだ知識をあれやこれやとこねくり回すのは様々な事象に対して有効です。
こねくり回している内に、自分のすでに持っている思わぬものとの関連性が湧き上がってくるかもしれません。
この、突拍子もない関連付けができるということが賢いって事なんじゃないかなあ…と私はぼんやりと思うわけです。
あるいはこれこそが生命の木という体系を用いる理由なのかもしれません。
ていうか生命の木は関係の図だっていうんだから、これができるように生命の木を使って鍛えようぜ!っていう話なのかもです。
生命の木を使えばある程度象徴の関係性が限定されますので、それこそクロウリーの言うようにカード検索ファイルとして扱いやすいと思います。
あとこの章の後半部には、植物や鉱物、または香り等をセフィロートに対応づける方法についての考察がさらりとなされているのですが、これはここで書かなくてもいいよね?
気になるだろうとは思うのですが、この辺はそれこそ他の本を用意した方がいいと思います。
ちなみにこの本の中では鉱物の部分、つまり石の対応について考察している部分に書かれている「水晶」という単語は、鉱物としての水晶を指すのではなく天然石全般としての「クリスタル」の事を指すのではないかなあ、と思います。
紛らわしい事に、英語だとどっちもクリスタルって言うんですよね。
これでようやく第一部については語り倒せたと思います。
私の未熟さゆえに不足な部分はあれど、現時点の私的には十分語り倒せたと思います。
次なる第二部からは各セフィラーの考察に入っていくことになります。
『神秘のカバラー』では各セフィラーの考察に入る前の第一部の時点でちょくちょく各セフィラーについて言及しているのでもどかしいったらありゃしないのですが、これでようやく各セフィラーについてのまとまった情報が手に入るってもんです。
各セフィラーについての理解を深めた後で第一部に戻ってみると、格段に読みやすくなると思いますぜ。
それではまた次回!
2018年5月12日土曜日
タルパーだけど『神秘のカバラー』読んだよ!~一回目・第一部前編~
というわけで第一部!
第一章は、「西洋人のヨーガ」。
要約すると、カバラーというものはこれこれこういうもので西洋人の心の仕組みに合ってる体系だから西洋人はカバラーやろうぜ!というようなことが書いてあります。
魔術でもなんでも、何かを学び修める場合には自分に合ったやり方をとることが、ありとあらゆる場所でおすすめされております。
また、魔術においては体系という、私の言葉で記すならば己の内に築き上げる世界観がとっっっっっても重要視されます。
簡単に言えば、世界はこういう原理で動いてるんだからその原理に沿って構築した理論が効果を発揮するのは当たり前、という信念のようなものです。
体系もしくは世界観もしくは信念が何故恐ろしく重要視されるのかと言いますと、それを語るだけでまた長文の記事が書きあがってしまう程の分量になりますので割愛しますが、魔術でもタルパでもなんでもいいのですが、オカルト技術というものは総じて己の潜在意識にどうにかこうにか働きかけてその効力を発揮します。
そう、己の内に働きかけるのです。
己の内に働きかける以上、自分の中にその働きかけが引っかかるモノがないと何も起こりません。
相変わらず雑な図で例え話をしましょう。
上の図の中で左上から伸びている引っかけ棒が、自分に合っていない体系や世界観に沿って構築した術だと思ってください。
自分の中に丸いモノしかないのに釣り針みたいな働きかけをしたって文字通り何も引っかかりませんし、何も動かすことはできないことは想像に難くないと思います。
では、自分に合った体系や世界観を使うとどうなるのでしょうか?
はい、引っかけられましたね!
こうして引っかけられたモノがいい具合に働いて、物理世界に効力として具現化するわけです。
こらそこお玉型最強じゃね?とか言わない。
自分の内側にあるモノが丸い形をしているモノだけとは誰が言った。
…以上の三つの図はあくまでもイメージ・例え図ですので、※実際の術の働きの図とは大いに異なる場合がございます。
とにかく、自分に合った体系や世界観を持つことはとっても大事な事なんだな~、ということが分かっていただければそれで充分です。
んで!
主に魔術世界にて扱われるカバラーというものは多大に一神教的世界観を含んでおります。
というよりは、カバラーというものが元々は聖書を研究することで世界の真理に至ろうというような学問であった、という話がありますので、もろ一神教です。
この部分あんまり自信が無いので、私の浅学を大いに嗤いつつ、興味のある人は自分で調べてみてください。
第二章は、「小径」の選択。
この章では、いかにカバラーが西洋人向けの体系なのか、また自分に合っていない体系を選ぶことがいかによろしくないか、についてダイアン・フォーチュン氏的な考えでもって語られております。
はい、第一章にもありましたが、どうにもダイアン・フォーチュン氏はカバラーを西洋人向けの体系である、という前提でもって『神秘のカバラー』を書かれているようなのです。
この章まで読むと、あれ?カバラーって日本人向けじゃないんじゃね…?という不安感にかられます。
多分実際に向いてないんじゃないかな~…とは私も思います。
日本人と西洋人の違いは沢山あります。
まずは言葉が違います。
使用している言語によって脳が異なる発達をする、という話もあるくらいです。
次に、現代に至るまでに辿ってきた歴史が違います。
近代の歴史は勿論として、そもそも原始時代に主に採集をしていたか農耕をしていたか狩りをしていたか、といった違いにより、食生活の違いからそもそも体の細部の構造?働き?が違ったりします。
海藻には栄養(おそらくカロリー的な意味で)がないからダイエットにオススメ!という話が出回った後に、でも日本人は長らく海藻を食いまくってたので海藻からも栄養が取れるようになっていた、というオチがつくくらいです。
この辺うろ覚えなので興味のある人は自分で調べてみてね!
また、現代に至るまでに置かれてきた環境が違います。
環境が違えば世界の見方が違ってくるのは想像できるかと思います。
例えば、温暖な地域に住んでいてとれる食物も豊かな地域と、寒さが厳しく食物がとれないどころか凍死の危険性すらある地域とでは、世界は全く違ったものに見えることでしょう。
そしてこういった違いの集大成とも言えるのが、宗教の違いです。
カバラーがその根元を宗教に根差している以上、この違いを見過ごす事はできないでしょう。
なので、私はカバラーって日本人に向いてないんじゃないかな~…と思います。
ただ、向いてないからといってカバラーについて学ぶことが全くの無駄足になるかというと、全くそうは思いません。
日本人がカバラーを学ぶことは、確かに日本人オカルティストにとって有益です。
カバラーを自らの体系として拠り所にするのはちょっとな~…ってだけです。
別にどうしてもカバラーを自分の体系にしたいんだ!って言うんなら止めるつもりはありませんが。
自分はこれを習得するのに一般的に有利ではないとされるけれど、それでも自分はそれをしたいんだ!というのもそれはそれで大切な衝動だと私は思います。
何故有益なのかという話も簡単にしておきましょう。
西洋魔術だったり引き寄せだったり、おおよそ西洋由来のオカルト技術というものは、根っこにカバラー的な考えが流れております。
ですので、カバラーについて知っておくことは、そういったオカルト技術の研究に物凄く役立ちます。
むしろカバラーを知っておくことで、己の内に築き上げていく自分だけの体系・世界観の強化に繋がります。
これは私の持論なのですが、カバラーだろうが宗教だろうが本当の本当の根っこでは、実は同じこと(特に力の働き方の原理など)言ってんじゃね?って思ってます。
それが集合無意識だと言われちゃうと何ともいえないんですが。
要は、同じ山を登るのにどの道から登ろうが、登り続けてさえいれば同じ頂上に辿り着く理論です。
このことについては色々言いたいことがあるのですがどうせ長くなるのでやめておきます。
日本人がカバラーを己の体系とするのはびみょ~…だと思うけど日本人がカバラーを学ぶのはめっちゃ有益だと思うよ!ということだけ、ご理解いただければ幸いです。
第三章は、「カバラー」の方法、と書いたところでふとこの本何章まであるんだっけ…?と思って見返してみたのですが、第一部だけで第十三章までありやがる…。
ええい、こんなんじゃいつまでたっても書きあがらんわ~!!!
ちなみに全体で第二十七章まであります☆彡
…やってられっか~!!!!!
わたしゃとっととネツァク・ホド・イェソド・マルクトのいわゆる低次のセフィロートの章の考察まで行って、そこで生命の木的タルパの作り方とか引き寄せとかの考察をしたいんすよ!
まあ具体的な実践法ってのはこの本だけだと全然足りない(特にイェソドは恣意的に書かれてないっぽい)ので、そんな深いことは書けないんだけどさ!
というわけで、ここからは駆け足(当社比)で語っていきたいと思います。
第三章は、「カバラー」の方法。
先にもあげた生命の木を瞑想に使うことがどんなに有用かということが丁寧に書かれています。
何でも、生命の木は単独の象徴ではなく複合的象徴であるからして、心が勝手に象徴ごとの繋がりを連想していくシステムが出来上がっているので、心の鍛錬(連想的な意味で)にもお役立ち!…みたいな感じです。
私はこの、心の鍛錬にも使えるって部分にとても感銘を受けたんですよね。
『神秘のカバラー』を読む前の私は、カバラーなんて何でも唯一神にこじつけて考えるためのやつだろペペペー!(大変な偏見)と思ってかんなり敬遠していたのですが、実はそうではないのだということを、この章で知ったわけです。
いや唯一神ありきな所は変わらないのですが、『神秘のカバラー』を読んだ後だと、システムや構造としては見習う所が大いにある体系なのだなあ…と思います。
『神秘のカバラー』を読んで良かったと思います。
ちなみに、前回の記事で引用した生命の木って何ぞや?という文章はこの章の冒頭部分にあります。
第四章は、「書かれざるカバラー」。
一口にカバラーと言っても色々種類があるんだよ!ということと、紛らわしい生命の木の構成の解説が書かれています。
紛らわしいっていうのは、生命の木の図は一つなのに四つの次元の事を考えなきゃいけないところだったり、生命の木には各セフィラーを繋ぐ小径(パス)というものが全部で22本あるのですが、ここに割り当てられる象徴「十二宮」・「七惑星」・「四大」を合わせると全部で23になっちゃう理由だったりだとかが実に紛らわしいんですよね。
多分生命の木の密儀を受けていないものが軽々しく扱えないように…(嫌がらせではなく危なかったりするから)とかそういう理由もあったりするんだろうな、とは思うものの、それでも紛らわしいことに変わりはないと思います。
その点ダイアン・フォーチュン氏は、密儀の詳細等の隠すべき場所は隠しつつもかなりの部分を『神秘のカバラー』内で公開しているので、まあ初学者的には有難いな、とは思います。
第五章は、「否定的存在」。
はい、前回の記事でも出したこの図の上のうにょうにょの部分が否定的存在の部分です。
この章ではこの部分について語っている章です。
(私が現時点で出した)結論としては、私達の世界の中では存在していると定義できないけど、世界の外側では確かに存在しているものについて、とりあえず否定的存在って言っておこう、みたいな感じです。
虚数iみたいなものです。
ちなみにiはこの本の最後の方に出てくるクリフォートというものにつけられる記号でもありますので、その辺りは混同しないようにしてください。
要は名前をつけることによって人間にも扱えるというよりは考えられるようにしよう、ということですね。
名前が無いものに対して、それを人間は考えることができません。
この話も語ろうと思えばえげつないほど語れるのですが、豪快に省略です。
いい加減全然駆け足になってないのに、これ以上長くなってたまるか~!
等と言いながら第六章は、「オツ・キイム」、「生命の木」。
いきなりオツ・キイムとか出てきましたが、これは生命の木のヘブライ読みだそうです。
ここでは、生命の木は全体として把握しておかなきゃ駄目だよ!というわけで、生命の木全体の説明…といいますか、パーツごとの解説がなされています。
家具を組み立てる際の説明書に、これはねじといい、部品を結合させるために使用します…というような、内容物の説明が載ってるようなもんです。
あと何故かやたらケテルが引き合いに出されるのですが、第一のセフィラーだからってことにしておきましょう。
次なる第七章は、「至高の三角形」。
…といきたい所ですが、ここで私の中の小宇宙が「ここは語らねば…!」と囁いている為、ここでまた分割させていただこうと思います。
ここをぶっ飛ばすのは非常に勿体無い!と思うのは、この第七章「至高の三角形」ってタイトルにしておきながら、それ以外の三角形についてだとか、生命の木上で何故各セフィラーを三つ組みにしなきゃいけないのかとか、セフィラーの多少の解説とか象徴をセフィラーごとに分類する振り分け方とか、生命の木を学ぶにあたって重要そうな事が一杯かいてあるんですよ!
というわけで、この章についても当然長くなります。
覚悟しておいてください。
(続く)
第三章は、「カバラー」の方法。
先にもあげた生命の木を瞑想に使うことがどんなに有用かということが丁寧に書かれています。
何でも、生命の木は単独の象徴ではなく複合的象徴であるからして、心が勝手に象徴ごとの繋がりを連想していくシステムが出来上がっているので、心の鍛錬(連想的な意味で)にもお役立ち!…みたいな感じです。
私はこの、心の鍛錬にも使えるって部分にとても感銘を受けたんですよね。
『神秘のカバラー』を読む前の私は、カバラーなんて何でも唯一神にこじつけて考えるためのやつだろペペペー!(大変な偏見)と思ってかんなり敬遠していたのですが、実はそうではないのだということを、この章で知ったわけです。
いや唯一神ありきな所は変わらないのですが、『神秘のカバラー』を読んだ後だと、システムや構造としては見習う所が大いにある体系なのだなあ…と思います。
『神秘のカバラー』を読んで良かったと思います。
ちなみに、前回の記事で引用した生命の木って何ぞや?という文章はこの章の冒頭部分にあります。
第四章は、「書かれざるカバラー」。
一口にカバラーと言っても色々種類があるんだよ!ということと、紛らわしい生命の木の構成の解説が書かれています。
紛らわしいっていうのは、生命の木の図は一つなのに四つの次元の事を考えなきゃいけないところだったり、生命の木には各セフィラーを繋ぐ小径(パス)というものが全部で22本あるのですが、ここに割り当てられる象徴「十二宮」・「七惑星」・「四大」を合わせると全部で23になっちゃう理由だったりだとかが実に紛らわしいんですよね。
多分生命の木の密儀を受けていないものが軽々しく扱えないように…(嫌がらせではなく危なかったりするから)とかそういう理由もあったりするんだろうな、とは思うものの、それでも紛らわしいことに変わりはないと思います。
その点ダイアン・フォーチュン氏は、密儀の詳細等の隠すべき場所は隠しつつもかなりの部分を『神秘のカバラー』内で公開しているので、まあ初学者的には有難いな、とは思います。
第五章は、「否定的存在」。
はい、前回の記事でも出したこの図の上のうにょうにょの部分が否定的存在の部分です。
この章ではこの部分について語っている章です。
(私が現時点で出した)結論としては、私達の世界の中では存在していると定義できないけど、世界の外側では確かに存在しているものについて、とりあえず否定的存在って言っておこう、みたいな感じです。
虚数iみたいなものです。
ちなみにiはこの本の最後の方に出てくるクリフォートというものにつけられる記号でもありますので、その辺りは混同しないようにしてください。
要は名前をつけることによって人間にも扱えるというよりは考えられるようにしよう、ということですね。
名前が無いものに対して、それを人間は考えることができません。
この話も語ろうと思えばえげつないほど語れるのですが、豪快に省略です。
いい加減全然駆け足になってないのに、これ以上長くなってたまるか~!
等と言いながら第六章は、「オツ・キイム」、「生命の木」。
いきなりオツ・キイムとか出てきましたが、これは生命の木のヘブライ読みだそうです。
ここでは、生命の木は全体として把握しておかなきゃ駄目だよ!というわけで、生命の木全体の説明…といいますか、パーツごとの解説がなされています。
家具を組み立てる際の説明書に、これはねじといい、部品を結合させるために使用します…というような、内容物の説明が載ってるようなもんです。
あと何故かやたらケテルが引き合いに出されるのですが、第一のセフィラーだからってことにしておきましょう。
次なる第七章は、「至高の三角形」。
…といきたい所ですが、ここで私の中の小宇宙が「ここは語らねば…!」と囁いている為、ここでまた分割させていただこうと思います。
ここをぶっ飛ばすのは非常に勿体無い!と思うのは、この第七章「至高の三角形」ってタイトルにしておきながら、それ以外の三角形についてだとか、生命の木上で何故各セフィラーを三つ組みにしなきゃいけないのかとか、セフィラーの多少の解説とか象徴をセフィラーごとに分類する振り分け方とか、生命の木を学ぶにあたって重要そうな事が一杯かいてあるんですよ!
というわけで、この章についても当然長くなります。
覚悟しておいてください。
(続く)
2018年5月9日水曜日
タルパーだけど『神秘のカバラー』読んだよ!~一回目・前置き~
凪沙は打ちひしがれていた…。
『神秘のカバラー』の余りにも難解、かつ深遠なるその内容に…。
こんなもの、どうやって記事にすればよいのだ、そもそも私ごときが『神秘のカバラー』ひいては生命の木に関して何かを語る等、おこがましいにも程があるのではないか…?
そう、これがいわゆるドツボにはまるってやつです。
まあ、んなこと言ってたら私、何も言えない&何も書けないになってしまうので、未熟さをお供に心は熱く、『神秘のカバラー』について語り倒していきたいと思います。
☆本編に入る前の注意事項☆
・この感想書いてる人はオカルトオタクです。
オタクなのでその知識は深い所は深いけど浅い所はさっぱり…といった、局所的なものとなっております。
・所詮一人の人間の感想なので、色々なフィルターがかかっております。
本の内容に興味を持たれましたら、実際にご自分で読んでみるのをおすすめします。
自分で読んでみて考える、これ大事。
・今回読んだ文書の著者様もしくは魔術結社と私とは何の関係もありません。
強いて言うなら本を書いた人とその本を読む人です。
・今から書きますのは私個人の感想です。
浅学ゆえの間違いや解釈違い等もあるかと思いますが、その間違い等は私個人に由来するものであり、読んだ本の内容を損なうものではありません。
今回読みましたのは
『神秘のカバラー』
(ダイアン・フォーチュン著、大沼忠弘訳、新装版第8刷)
でございます。
・難易度…めっちゃ難しい
易しい★★★★★難しい
・情報量…とても多いけどあとほんの少しだけ足りない
少ない★★★★☆多い
・情報の濃さ…めちゃくちゃ濃い
薄い★★★★★濃い
・面白さ…大変興味深い
not for me★★★★★面白い
・こんな人におすすめ
☆生命の木に興味があって、ある程度の知識があるけどもっと濃い知識が欲しい人
☆西洋魔術の知識が多少あって、もうちょっと踏み込んだ理解を望む人
☆生命の木について、ネットでよく見かける情報だけじゃ物足りない人
☆文章を読みながら、内容をどうにか自分の使えるものにできないか、と試行錯誤するのが好きな人
☆難解な文章に挑むのが好きな人
☆文字が読めれば何でもいい、活字中毒な人
・こんな人は読むのをちょっと待った方がいい
★カバラー、生命の木という言葉に触れるのはこのブログが初めてです!という人
★タルパ以外のオカルト知識をあまり持っていない人
★性というものに激しい抵抗感がある人
★魔術なんて危なげ物騒なものに足を踏み入れたくない人
★お手軽実践法を求めている人
★読んだだけで魔術の熟練者になれる本を探している人
・この本を読んだ感想を手短に
カバラー及び生命の木について学んでいく上で、避けては通れない本だと思えるけど、最初に読むには難しいと思う。
また、書かれているのは知識が殆どで、具体的にどういうやり方で生命の木を用いた実践ができるのかは、全くと言っていいほど書かれていない。
この本に書かれている生命の木についての知識をタルパに活かすのは十分可能だと思うけど、タルパに活かす為の知識や頭の使い方や実践方法が他にも必要。
・これから読もうと思っている人に一言
この本を読む事で、カバラーの知識のみならずその他おおよそのオカルト知識がぐっ…!と深まること間違いなしです。
ですが、本文が難解かつ理解に大変頭を使うので、休憩をはさみつつ、ゆっくりと読み進めていく事をおすすめします。
私未だにこのブログの読者層が分からないのですが、一応タルパブログと銘打っている以上、私としましてはタルパーの皆々様に向けて書くのがよろしかろうと思っております。
あとオカスピクラスタの方々とか。
オカスピクラスタの方々なら多少なりとも聞き覚えのあるであろうカバラーという単語、タルパー的には知らない人結構いそうだなあ…って思ったりしています。
まあカバラーもしくはカバラって言葉を知らなくても、生命の木って言葉ならタルパに興味を持つ層には聞いた事ある人いるんじゃないかしら。
そう、この『神秘のカバラー』という本こそは、著者のダイアン・フォーチュン氏がカバラーひいては生命の木について熱く語っている本なのです!
もしくはこう言ってもいいかもしれません。
この本は、ダイアン・フォーチュン氏の生命の木の使用例です。
つまりダイアン・フォーチュン氏が生命の木を使ってみたら、生命の木はこんな中身になったよ!というのを、ある程度解説している本ということになります。
(※個人の感想です)
生命の木の使用例、ってそもそも生命の木って何やねん何にどうやって使うものなんや、というと長くなるのですが、私がこの本から読み取った生命の木というものについてまずは語っていきましょう。
生命の木は一般的には、この宇宙が造られる過程で通ってきた道筋、もしくはこの宇宙はこの順番で出来上がった!というものを図示したもの、と言われております。
といいますか私はそう受け取っていました。
『神秘のカバラー』内の文章にはこうあります。
”「生命の木」として知られている奇妙な象徴体系は、顕現宇宙と人間の魂におけるあらゆる力と要素を図式的形象に還元しようとする試みである。それらを互いに相関させ一枚の地図の上に広げてみせることによって、それぞれのものの相対的位置がわかるようになり、それぞれの関連を後づけることができるようになる。簡単に言えば「生命の木」とは科学、心理学、哲学、神学を一つの形に要約する図式なのである。”
(p30、2行目から6行目まで)
中々に難解な文章ですね。
文章だけでは分からないと思いますので、図形も出しましょう。
生命の木(The・手書き)の図です。
見にくかったり字が下手だったりしますが、あきらめるか各自生命の木の画像を検索してください。(生命の木の画像検索結果ページ)
詳しいもしくはまともな解説は他のウェブページ、もしくは『神秘のカバラー』読んでねということで、ここでは簡単あるいは私の主観が入りまくった説明をしていきます。
一番上のうにょうにょ~とした部分が今私達のいる宇宙の外側です。
宇宙の外側なので宇宙の内側から見れば存在しないもの、つまりは未顕現ということになります。
その未顕現の何かに何かがあって、この宇宙が造られ始める、もしくは顕現していくのですが、この顕現の過程が画像の中の丸い部分、つまりセフィラーになります。
未顕現の何かに何かがあって、とありますが、巷ではこれを流出と呼んでいます。
流出の図(※画像はイメージです)
つまりうにょうにょ~とした部分から流出して初めのセフィラーが顕現し、初めのセフィラーから流出して次のセフィラーが顕現し…という流れが最後のセフィラー、つまり物理世界に至るまで続きます。
さらりとセフィラーなんて言っちゃいましたが、セフィラーって何ぞや?といいますと、ぶっちゃけわかんない…う~ん、セフィラーごとに割り当てられている権能が作用している場所…とでも言いましょうか。
割り当てられている、というよりはそういう権能が顕現している、と言いますか…未顕現もしくは前のセフィラーから流出した結果、そういうものとしてそのセフィラーが顕現した、ということになるのでしょうか。
実に難解ですね。
もしくは私の説明が下手ですね。
セフィラーというものがどういうものか語るよりも、セフィラーというものがどういう働きをするのか、について語った方が逆にわかりやすいかもしれません。
よしその方向で行こう。
セフィラーは各々のセフィラーごとに、様々な物事を分類して入れておく事ができます。
例えば体の部位やハーブ、多神教の神々などといったものを、それぞれに対応するセフィラーに分類することができます。
また、セフィラーは諸々の象徴を分類するのみならず、瞑想等の象徴として使うこともできます。
更にセフィラーごとに当てはまる適切な魔術的作業を行えば、宇宙が造られるのと同じようにして、その魔術的作業の目的、いわゆる願望をこの物理世界に実現させることができます。
これは私が思うに過ぎないセフィラーの働きですので、まだまだ他にもセフィラーの働きというものはいっぱいあります。
なぜセフィラーにこういう働きが可能なのかというと、この宇宙が造られる時に、各セフィラーが造られると共に、各セフィラー内で万物の各セフィラーに対応する部分もまた造られていったから…ということになると思います。
つまりセフィラーは被造物であると同時に創造する場でもあったわけだよ!!!
ええい、なんと難解な!
私は『神秘のカバラー』について語り倒すとは言ったが、生命の木について語り倒すとは言ってないんだぞ!
生命の木について語るのは私の手には余るので、これ以上ぼろが出ない内に(もう出てるけど)生命の木の説明を切り上げます。
生命の木について詳しく知りたければ『神秘のカバラー』を読むのじゃ…読むのじゃ…。
さて、多少なりとも生命の木への理解が深まった所で(希望的観測)、『神秘のカバラー』の考察のようなものへとまいりましょう。
『神秘のカバラー』には目次の後に生命の木の図形が載っているのですが、この本の中で図形が載っているのはここしかありません。
本文を読み進めている内に何度も生命の木の図形を見たくなるのでちょっと不便です。
利便性を求める方はあらかじめコピーをとっておくといいかもしれません。
『神秘のカバラー』は三部構成になっていて、第一部ではカバラーというものが何か、生命の木というものが何なのかという全体的な説明…というよりは熱い考察がなされています。
第二部では第一のセフィラー・ケテルから第六のセフィラー・ティファレトまでの6つのセフィラーの考察を、第三部では第七のセフィラー・ネツァクから第十のセフィラー・マルクトの考察及び生命の木の影の部分であるクリフォートの簡潔な考察、それから全体を通しての結論が書かれております。
何故セフィラーの考察が二つの部にまたがっているのかと言いますと、第一から第六までのセフィラーは高次のセフィロート、第七から第十までのセフィラーは低次のセフィロートと分けて考えられているからです。
さらりと出てきたセフィロートという単語はセフィラーの複数形です。
何でも、低次の4つのセフィラーは『堕落』の影響を被っているそうな。
低次のセフィロートが堕落の影響を被っている図(※画像はイメージです)
よく分かんなければ低次のセフィラーはより物理世界寄りで、第六のセフィラーから上は決定的に非物理世界寄りになっちゃってるとかそんな解釈を今の所はしておきましょう。
…さて、ようやく本文に入る前に語っておいた方がいいと思われる事を語り終えました。
これでようやく、本当にようやく本文を語り倒す事ができるぜひゃっはー!
本文を語り倒すにあたってはタルパー向けに何かタルパに役立ちそうな形で語るんだ…!ということを念頭に置きつつも、たぶん語ってる間に頭からすっぽ抜けます。
振り落とされないよう注意してお付き合いください。
(続く)
2018年4月4日水曜日
タルパーだけど『実践魔術講座』読んでるよ!~序章~
魔術…それは魅惑の学問…魅惑の技術。
タルパって奴はですね、人間の未だ科学で解明されていない能力を用いてあれやこれやと作っていくものでしてね、そんな科学で解明されていない部分を担っているのが魔術って奴なのです。
なので、魔術についての知識を持っていると、タル活をやっていく上で物凄く捗るわけです。(以上全部個人の感想です)
というわけで今回読みましたのは『実践魔術講座』のpdf版!
(リンクは→こちら)
なんとこちら、しかるべき魔術の機関から無料で公開されている文書でございまして、更にこれがあれば向こう一年は他に魔術の本いらないんじゃね?とか、日本の魔術師の有利な点はこの本があることだっ!とまで言われている名著なのです!
タルパー的に本のレビューをしていくと決めた身において、この本は外せない。
というわけで、『実践魔術講座』を読んでみた感想in序章です。
感想的な何かを書いていく前に注意事項をば。
・この感想書いてる人はオカルトオタクです。
オタクなのでその知識は深い所は深いけど浅い所はさっぱり…といった、局所的なものとなっております。
・所詮一人の人間の感想なので、色々なフィルターがかかっております。
本の内容に興味を持たれましたら、実際にご自分で読んでみるのをおすすめします。
今回紹介するのは無料文書ですしね!
自分で読んでみて考える、これ大事。
・今回読んだ文書の著者様もしくは魔術結社と私とは何の関係もありません。
強いて言うなら本を書いた人とその本を読む人です。
・今から書きますのは私個人の感想です。
浅学ゆえの間違いや解釈違い等もあるかと思いますが、その間違い等は私個人に由来するものであり、読んだ本の内容を損なうものではありません。
んだらば気楽にいってみましょう。
まずはまえがきから。
ここにはどんな対象に向けてこの本を書いたのか?という事が書かれております。
ここには魔術の初心者向けに書かれた本であり、この本に従って訓練を進めていけば、安全に魔術の修行を進められる、というような事が書いてあります。
魔術ってのは一人で実践していくのには危ない所もそれなりにあります。
タルパも時折危険だ危険だ言われる事がありますが、その危険性は魔術を実践していくにあたっての危険性と似たような所があります。
つまり、この本の内容をタルパー的な観点から活かしつつなぞっていけば、タルパがよく言われているような危険も回避できる!かもしれないという事です。
素晴らしいですね。
私はタルパの危険性というのはタルパーの自己意識の肥大によるものが大きな要因を占めている部分もあるのではないか?と思っているのですが、魔術においても自己意識の肥大とは魔境だとか言われている程度にはメジャーな危険性として認識されているわけです。
自己意識の肥大っつうとよく分からないかもしれませんが、要は「俺は凄い力を持っている選ばれし存在なんだ…!」って意識が現実生活送るにはアブナイレベルにまで大きくなってしまった状態の事です。
まあ魔術もタルパもやってる人の数だけで言えばマイノリティに入りますからね、自分はそんじょそこらの人間とは違うんだ意識を育んでしまうのも仕方ないわけです。
なのでそういった自己意識の肥大をしないよう、うっかり魔術の暗黒面(ダークサイド)に落ちないよう細心の注意を払って魔術修行について書かれたこの本は、タルパの危険性に怯えるタルパーの皆様においても有益な本となるであろう事が、このまえがきからも見て取れるわけです。
あと、このまえがきから既に説明は無いけどなんか格好良さそうな言葉(例:ディオニュソスの秘技)が出てきますが、読み始めの今の段階では分からないのが当然なので、そんな言葉もあるんだあ~…程度の認識で置いておく事にします。
二週目限定ダンジョンみたいなものです。
さて、まえがきの最後の部分に注目です。
ここはこの本の大元の魔術結社が擁するアストラル神殿についての描写なのですが、このアストラル神殿、アストラル・ライトの某座標にある、と書かれております。
アストラル・ライト、格好いい響きですね。
まあタルパー的に言うならダイブ界に近しい場所だと思われます。
そう、ダイブ界(みたいなもの)なのです。
タルパーの皆様におかれましてはダイブやってみたいぜ!っていう人も多いと思います。
魔術においても似たような技法があり、といいますか大元の技法は魔術にあるんだと思いますが、なので魔術を学んでいけばダイブ及びダイブ界の作成までも理論的に可能になるのだ!という事になります。
胸が踊りますね。
まえがきから読み進めていくと、本書の使い方から魔術の定義、魔術の歴史、魔術の学問化、と続いていきます。
ここは魔術を志す者としては持っておきたい知識の部分であり、本書の目的は魔術的知識の補完にもありますので重要な部分ではあるのですが、タルパー的に必須というわけでもないので、魔術に興味のある人は素直に読んでおいてね♪ということにしておいてここでははしょります。
知識は多くても多すぎるということはないぜ!と私は思うのですが、タルパー的に語る事も今は思い付かないし…というわけで大胆にはしょります。
興味のある人は実際に読んでみようぜ!
次の、魔術の原理の項目においてはタルパー的に読んでも損は無いと思います。
タルパも魔術の一端に属する技法にございますれば、ここに書かれている魔術の原理をタルパ術に当てはめる事もできるわけです。
タルパー的には特に第2、第3項目(あと場合によっては第4項目)に注目したい所です。
人間の意志力は実在の力であり、その意志力を導くのは想像力である。
タルパを形作るのも人間の想像力ひいては意志力であり、更にそれはしかるべき方法で訓練できるのです。
そのしかるべき方法が書かれているのも本書の魅力であります。
魔術の訓練をしながら意志力や想像力を鍛えつつ、魔術の知識でもって時分のタルパ観を補強していく事ができれば、それは必ずやタルパとの生活の充実に繋がっていく筈です。
なんだか本書を読み進めるのが楽しみになってきますね。
サクサクまいりましょう。
次は魔術師の心構え。
別に私ら魔術師になりたいわけじゃないし…と言いたいのは分かりますが、日常生活をおろそかにしちゃ駄目だよ!っていう部分くらいは心に留めておきましょう。
まあその後の、毎日訓練やらなきゃ後退あるのみだぞって怖がらせてくる部分は私は好きではありません。
言ってる事が分からないではないのですが、私はゆる~くやっていってやるのが好きなんだクソッタレー!(ここだけ個人的な偏見)
気を取り直して次なるは魔術師の倫理。
さっきグダグダ言っていた魔術もしくはタルパの危険性について気にする人は、ここだけでも読んでおくといいと思います。
短いし、そんなに難しくないし。
いや倫理観を養っていこうぜ!って部分は実際にやっていくと難しいといいますか、割と辛い部分ではあるのですが。
自分で自分はおかしくなってないか?って監視するのは確かに気分が悪い事ではありますが、大切な事でもあります。
どうか、自分の重荷にならない程度でいいので、心の片隅に留めておいていただけると、安全にタルパとの生活を送っていく助けになるでしょう。
ちょっとしんみりとしちゃった所で次にいきましょう。
ここから先は割と実践的な使えるタイプの知識なので、知った側からタルパに活かしていく事も可能っちゃ可能ですよ!
折角なのでまとめていっちゃいましょう。
魔法名とは、の節では魔法名って何の事やねんって説明で、次の魔術的ペルソナの節では何で魔法名をつけるんやっということを説明し、最後の魔術の宣言ではとうとう儀式が入ります。
この辺りはタルパー的には魔術名?なにそれおいしいの?状態で投げ捨てたくもなりますが、タルパの名前をつけるだとかタルパの名前を魔術ちっくに補完するだとかそういった場合に役立つもしくは参考になると思われます。
皆さんタルパなんてオカルティックもしくはファンタジックなものに手を出す方々ですから、四大元素とかお好きでしょ?
本書には母音にも四大(五大)元素の割り当てが成されており、実に厨二心をくすぐってくれます。
ただ、母音の分類が2つ載ってるからそこは注意な!
試しに私の名前(風待凪沙)を上の表で当てはめてみたら、エーテルと火しか無いでやんの。
どうやらこの名前にはエーテルと火的な特性があるらしいという事にしておこうそうしよう。
めっちゃ偏りのある私の名前は置いておいて、母音をそれぞれの要素別に分類する事によって母音を用いた要素の補完なるものができるそうです。
足りない要素を補完するとどんないい事が起こるのかってのは本書のこの辺りには書かれていないのですが、恐らく要素のバランスを取っておいた方が何かといい事があるんでしょう。
四大元素のバランスを取ると何がいいのかって事だけなら私でも説明できそうな気がするので、ちょろっとしておきましょうか。
四大元素ってのは火風水地の4要素の事を言うのですが、万物はこの四大元素によって形作られているのだー!っていう思想があります。
勿論人間もこの四大元素によって形作られておりまして、人間の性質やら何やらまでこの四大元素に分類できちゃう、というわけです。
さてこの火風水地の四大元素が偏るとどうなるのか。
例えば地の元素は安定だとか物質的な諸々だとかを司るわけですが、これが過剰になるとまあ頑固になるわ動かなくなるわでロクな事になりません。
もしかしなくても物質至上主義になって金金言い出すかもしれません。
他の元素も似たような感じで、過剰になるとまあいいことが無さそうなのはお分かりいただけるかと。
過剰な例を出しましたから枯渇するとどうなるのかの例も出していきましょう。
例えば火の元素はやる気だとかエネルギッシュだとかそういうのを司ったりしちゃうわけですが、これが枯渇すればやる気も熱意も出なくて何もできないわ~…みたいな、結局こっちでも何もできないのかよ!?みたいな不調が出てきます。
過剰にしろ枯渇にしろ、四大元素が偏るのはロクな事にならないのはお分かりいただけたと思います。
思いたいです。
四大元素については割と魔術の基礎的部分なので、多分この先ちゃんと詳しい解説が本書でも出てくるでしょう。
気になる人は先に調べちゃったり本書を読んだりしちゃってもいいのよ?
なので四大元素についてあーだこーだ言うのはその時まで取っときましょう。
さて、ドキドキワクワクの魔術名の宣言についていきましょう。
この宣言て奴、といいますか我は何々であるぞー!と意識することはすごく大事です。
もう本書そっちのけでその辺について語ってもいいくらい。
いや宣言がどんな意味を持ち宣言することでどんな事が起こるのかって事は魔術チックに本書に書いてあるので、その部分もお読みいただきたいのですが!
しかしここはタルパブログ!
タルパー的に宣言すること、意識・意図することがどういう風に役に立つのかについて語るのは、全くもって構わんだろう?
タルパー的にというのはある意味では語弊があります。
タルパーが己は何であるか宣言もしくは意識する事について語りたいのではなく(別にしてもいいけど)、タルパーが自分のタルパが何であるか宣言もしくは意識する事が大事なんだっ!って力説したいのです。
皆さん、自分のタルパがどういった存在なのか、もしくは何をする存在なのかって胸を張って言える答えがありますか?
別に何も一般的にタルパはこうである!っていう荒れそうな答えが欲しいわけではなく、自分の中で(最重要)己のタルパはこういう存在である!という確固とした意志が欲しいわけです。
先にもありました通り、魔術もタルパも意志力でなんやかんやしていくものです。
魔術は置いておいても、私のタルパはこういう存在である!という意識があれば、実際タルパはそのような存在になっていきます。
これがタルパの核だと言っても過言ではありません。
何とな~くタルパってのを作ってみるか~…でタルパを作っていくよりも、私はこういう存在を作るんだ!という核を持っていた方が、長続きもしますしタルパの強度も強くなります。
強度って何やねんってまあ存在がなんかちゃんとしたものになるっていう何かふわっとした何かです。
確固とした意志とか言っておきながらこの体たらく!
まあこんな感じなので色々言いましたけど、タルパがどんな存在であるかという意識を持つということについて、そんなに身構える必要はありません。
ふわっとでもいいので、自分の中に自分のタルパがどんな存在であるかという答えを持っておく、それだけを意識していただければと思います。
宣言だとか意識する事だとかの重要性がお分かりいただけた(ということにしておく)所で、この章の最後にありますのは(参考図書を除けば)宣言の儀式についてでございます。
この部分は、晴れて魔術結社に入社した後に行われる、言わば脱魔術初心者した後に行われるガチな奴なので、何がどうなってるのかこの時点ではよく分かりません。
まだ分からなくていい部分なんだと思う事にします。
大まかに考察していいのなら、まず自分の心身及び儀式をする場の浄化をし、リラックスしやすい服装をしながら呼吸や動作で精神を整えたり、何ならここで潜在意識の活性化なんかもやっちゃってるのかもしれません。
それから手順に則った儀式をする、と。
この儀式より前にする、この浄化・リラックス・呼吸法(からの潜在意識の活性化)は、どんな魔術においても基礎となる部分だと私は聞いております。
浄化はどうだったか分かりませんけど、部屋も心身もごちゃごちゃしてたら集中も何もあったもんじゃないので、入れちゃっていいんじゃないかな?と軽率に考えて入れました。
魔術の基礎には他にも視覚化が入るらしいのですが、それは儀式内で使う事になります。
そう、魔術の基礎には視覚化が含まれているのです!
タルパを作り始めたタルパーは、まずオート化視覚化をすることを目標にしている人が多いと思います。
その内の一つ、視覚化は魔術の基礎にあるわけです。
つまり魔術を学んでいけば、その内視覚化の訓練を通る、というわけです。
脱線しますが私個人としては、視覚化の訓練やその補助にタルパを使うっていうのもアリじゃないかな~…と思っております。
タルパ見たいから視覚化訓練します!ってモチベーション維持になるし、タルパがどんだけ見えるかで自分の視覚化レベルが上がってるかどうかも分かるし。
そんな風に本末転倒気味な人でもそうじゃない普通にタルパ見たいぜ!って人でも、視覚化に興味のある人は魔術方向から攻めてみるのもアリだと思いますよ。
手順に則った魔術名の宣言儀式の方も、どんな感じにやってるのかちょっとだけ考えてみます。
いきなり小五芒星の追儺儀式をやる、とか出てきます。
のっけからハードル高いですね。
しかもこの小五芒星の追儺儀式、魔術名の宣言儀式の最後にもやる、とあります。
この小五芒星の追儺儀式、どうにも魔術的な場の浄化・聖別儀式のようで、前後にこの儀式を挟むのも、ここから魔術儀式~魔術儀式ここまで、と魔術儀式をしている時間とその他の時間を区切る意図があるように思えます。
まるでHTMLにおけるタグのようですね。
HTMLってウェブページを作る時に使うプログラミング言語みたいなものなのですが、文書を修飾する時に
<font>ここに文書が入るよ!</font>
のように、前後に色々くっつけると、文書に色がついたり書体が変わったりするわけです。
そうする=タグで囲うことで、この修飾はこの文書にだけ適用するよ!と他の修飾のされていない文書と分ける事ができるのです。
なので小五芒星の追儺儀式はHTMLのタグ、いいね?
小五芒星の追儺儀式は、タグで囲われてる部分は魔術儀式だよ!って宣言するタグ、いいね?
まあそんなHTMLのタグみたいな儀式があるんだな~って事を思いつつ、タグで囲われてる部分を見ていきましょう。
まず、東を向きます。
それからなんだか難しそうな事を言ったりやったりしながら、門を開いたり引力を召喚したりして上左右前下の順で何かします。
んで何かした後で、前を向いて大いなる存在的な何かに、自分は魔術でこういう道を歩むぞー!と厳かに宣言。
何かする、の部分が気になりまくりなのは分かりますが、今の私には何をやっているのかよく分かりません。
ただ、引力を上下左右において均衡させている点を見ると、自分の位置(恐らく精神的な)の調整をしているように思います。
自分軸の調整ー!みたいなやつですきっと。
そんな自分軸をがっつり意識した状態でもって、自分は魔術でこういう道を歩むぞー!という宣言をするわけですから、なるほど宣言は魂の深い部分まで降りていき~という下りも間違いは無さそうです。(そういう文章が魔術の宣言の節の初めの方にあった)
多分ですけど、やってる事は自分軸(的な何か)に己が何であるかという宣言を刻み込む儀式なんですよきっと。
それを世界だとか大いなる存在だとかに広く知らしめている感じ、になるのではないでしょうか。
知らしめる、という行為は力を持つ、と私は思っております。
こんな感じで終わるとタルパー的にどうやって役立てるんだ…って頭抱えられそうなので、え~と、魔術についての訓練と理解を深めた後は、この儀式をちょこちょこ~っと改造して、自分のタルパがどういった存在か宣言するぜー!…っていう風に使う、ってことでどうでしょ?ダメ?
案がないわけでもないので、その内タルパー的タルパの存在定義儀式みたいなのでも構築してみようかしら?(予定は未定)
序章読んだだけでこんなに書いちゃったよ!
なんとも先が思いやられますが、この先も『実践魔術講座』を読んで、こんな風に感想的な何かを語り倒していきたいと思います。
感想的な何かっていうよりは風待凪沙のお勉強ノートみたいな様相ではありますが、こんな感じでいかがでしょうか?
さて、ここで宣伝もしくはお願いでございます。
ただ今、このブログを書いてる人はポルカにて投げ銭を募集中です。
ポルカの投げ銭ページへのリンク
いただいた支援はポルカにも書きました通り、今の所はタルパ活動略してタル活に役立ちそうな本を購入する代金にあてたいと思います。
支援のお礼はこの記事みたいなノリで感想記事を書く事になります。
言わばこの記事は支援お礼のお試し記事!
この記事を読んでみての改善点や感想等ありましたら、遠慮なくこの記事へのコメントでも風待凪沙のTwitterへのリプライでもポルカでのコメントでも、どこからでもお寄せいただけたらと思います。
特に何もなければ、この記事みたいなノリが続いていく事になりますので、修正をかけさせたいのなら今の内です。
タルパって奴はですね、人間の未だ科学で解明されていない能力を用いてあれやこれやと作っていくものでしてね、そんな科学で解明されていない部分を担っているのが魔術って奴なのです。
なので、魔術についての知識を持っていると、タル活をやっていく上で物凄く捗るわけです。(以上全部個人の感想です)
というわけで今回読みましたのは『実践魔術講座』のpdf版!
(リンクは→こちら)
なんとこちら、しかるべき魔術の機関から無料で公開されている文書でございまして、更にこれがあれば向こう一年は他に魔術の本いらないんじゃね?とか、日本の魔術師の有利な点はこの本があることだっ!とまで言われている名著なのです!
タルパー的に本のレビューをしていくと決めた身において、この本は外せない。
というわけで、『実践魔術講座』を読んでみた感想in序章です。
感想的な何かを書いていく前に注意事項をば。
・この感想書いてる人はオカルトオタクです。
オタクなのでその知識は深い所は深いけど浅い所はさっぱり…といった、局所的なものとなっております。
・所詮一人の人間の感想なので、色々なフィルターがかかっております。
本の内容に興味を持たれましたら、実際にご自分で読んでみるのをおすすめします。
今回紹介するのは無料文書ですしね!
自分で読んでみて考える、これ大事。
・今回読んだ文書の著者様もしくは魔術結社と私とは何の関係もありません。
強いて言うなら本を書いた人とその本を読む人です。
・今から書きますのは私個人の感想です。
浅学ゆえの間違いや解釈違い等もあるかと思いますが、その間違い等は私個人に由来するものであり、読んだ本の内容を損なうものではありません。
んだらば気楽にいってみましょう。
まずはまえがきから。
ここにはどんな対象に向けてこの本を書いたのか?という事が書かれております。
ここには魔術の初心者向けに書かれた本であり、この本に従って訓練を進めていけば、安全に魔術の修行を進められる、というような事が書いてあります。
魔術ってのは一人で実践していくのには危ない所もそれなりにあります。
タルパも時折危険だ危険だ言われる事がありますが、その危険性は魔術を実践していくにあたっての危険性と似たような所があります。
つまり、この本の内容をタルパー的な観点から活かしつつなぞっていけば、タルパがよく言われているような危険も回避できる!かもしれないという事です。
素晴らしいですね。
私はタルパの危険性というのはタルパーの自己意識の肥大によるものが大きな要因を占めている部分もあるのではないか?と思っているのですが、魔術においても自己意識の肥大とは魔境だとか言われている程度にはメジャーな危険性として認識されているわけです。
自己意識の肥大っつうとよく分からないかもしれませんが、要は「俺は凄い力を持っている選ばれし存在なんだ…!」って意識が現実生活送るにはアブナイレベルにまで大きくなってしまった状態の事です。
まあ魔術もタルパもやってる人の数だけで言えばマイノリティに入りますからね、自分はそんじょそこらの人間とは違うんだ意識を育んでしまうのも仕方ないわけです。
なのでそういった自己意識の肥大をしないよう、うっかり魔術の暗黒面(ダークサイド)に落ちないよう細心の注意を払って魔術修行について書かれたこの本は、タルパの危険性に怯えるタルパーの皆様においても有益な本となるであろう事が、このまえがきからも見て取れるわけです。
あと、このまえがきから既に説明は無いけどなんか格好良さそうな言葉(例:ディオニュソスの秘技)が出てきますが、読み始めの今の段階では分からないのが当然なので、そんな言葉もあるんだあ~…程度の認識で置いておく事にします。
二週目限定ダンジョンみたいなものです。
さて、まえがきの最後の部分に注目です。
ここはこの本の大元の魔術結社が擁するアストラル神殿についての描写なのですが、このアストラル神殿、アストラル・ライトの某座標にある、と書かれております。
アストラル・ライト、格好いい響きですね。
まあタルパー的に言うならダイブ界に近しい場所だと思われます。
そう、ダイブ界(みたいなもの)なのです。
タルパーの皆様におかれましてはダイブやってみたいぜ!っていう人も多いと思います。
魔術においても似たような技法があり、といいますか大元の技法は魔術にあるんだと思いますが、なので魔術を学んでいけばダイブ及びダイブ界の作成までも理論的に可能になるのだ!という事になります。
胸が踊りますね。
まえがきから読み進めていくと、本書の使い方から魔術の定義、魔術の歴史、魔術の学問化、と続いていきます。
ここは魔術を志す者としては持っておきたい知識の部分であり、本書の目的は魔術的知識の補完にもありますので重要な部分ではあるのですが、タルパー的に必須というわけでもないので、魔術に興味のある人は素直に読んでおいてね♪ということにしておいてここでははしょります。
知識は多くても多すぎるということはないぜ!と私は思うのですが、タルパー的に語る事も今は思い付かないし…というわけで大胆にはしょります。
興味のある人は実際に読んでみようぜ!
次の、魔術の原理の項目においてはタルパー的に読んでも損は無いと思います。
タルパも魔術の一端に属する技法にございますれば、ここに書かれている魔術の原理をタルパ術に当てはめる事もできるわけです。
タルパー的には特に第2、第3項目(あと場合によっては第4項目)に注目したい所です。
人間の意志力は実在の力であり、その意志力を導くのは想像力である。
タルパを形作るのも人間の想像力ひいては意志力であり、更にそれはしかるべき方法で訓練できるのです。
そのしかるべき方法が書かれているのも本書の魅力であります。
魔術の訓練をしながら意志力や想像力を鍛えつつ、魔術の知識でもって時分のタルパ観を補強していく事ができれば、それは必ずやタルパとの生活の充実に繋がっていく筈です。
なんだか本書を読み進めるのが楽しみになってきますね。
サクサクまいりましょう。
次は魔術師の心構え。
別に私ら魔術師になりたいわけじゃないし…と言いたいのは分かりますが、日常生活をおろそかにしちゃ駄目だよ!っていう部分くらいは心に留めておきましょう。
まあその後の、毎日訓練やらなきゃ後退あるのみだぞって怖がらせてくる部分は私は好きではありません。
言ってる事が分からないではないのですが、私はゆる~くやっていってやるのが好きなんだクソッタレー!(ここだけ個人的な偏見)
気を取り直して次なるは魔術師の倫理。
さっきグダグダ言っていた魔術もしくはタルパの危険性について気にする人は、ここだけでも読んでおくといいと思います。
短いし、そんなに難しくないし。
いや倫理観を養っていこうぜ!って部分は実際にやっていくと難しいといいますか、割と辛い部分ではあるのですが。
自分で自分はおかしくなってないか?って監視するのは確かに気分が悪い事ではありますが、大切な事でもあります。
どうか、自分の重荷にならない程度でいいので、心の片隅に留めておいていただけると、安全にタルパとの生活を送っていく助けになるでしょう。
ちょっとしんみりとしちゃった所で次にいきましょう。
ここから先は割と実践的な使えるタイプの知識なので、知った側からタルパに活かしていく事も可能っちゃ可能ですよ!
折角なのでまとめていっちゃいましょう。
魔法名とは、の節では魔法名って何の事やねんって説明で、次の魔術的ペルソナの節では何で魔法名をつけるんやっということを説明し、最後の魔術の宣言ではとうとう儀式が入ります。
この辺りはタルパー的には魔術名?なにそれおいしいの?状態で投げ捨てたくもなりますが、タルパの名前をつけるだとかタルパの名前を魔術ちっくに補完するだとかそういった場合に役立つもしくは参考になると思われます。
皆さんタルパなんてオカルティックもしくはファンタジックなものに手を出す方々ですから、四大元素とかお好きでしょ?
本書には母音にも四大(五大)元素の割り当てが成されており、実に厨二心をくすぐってくれます。
ただ、母音の分類が2つ載ってるからそこは注意な!
試しに私の名前(風待凪沙)を上の表で当てはめてみたら、エーテルと火しか無いでやんの。
どうやらこの名前にはエーテルと火的な特性があるらしいという事にしておこうそうしよう。
めっちゃ偏りのある私の名前は置いておいて、母音をそれぞれの要素別に分類する事によって母音を用いた要素の補完なるものができるそうです。
足りない要素を補完するとどんないい事が起こるのかってのは本書のこの辺りには書かれていないのですが、恐らく要素のバランスを取っておいた方が何かといい事があるんでしょう。
四大元素のバランスを取ると何がいいのかって事だけなら私でも説明できそうな気がするので、ちょろっとしておきましょうか。
四大元素ってのは火風水地の4要素の事を言うのですが、万物はこの四大元素によって形作られているのだー!っていう思想があります。
勿論人間もこの四大元素によって形作られておりまして、人間の性質やら何やらまでこの四大元素に分類できちゃう、というわけです。
さてこの火風水地の四大元素が偏るとどうなるのか。
例えば地の元素は安定だとか物質的な諸々だとかを司るわけですが、これが過剰になるとまあ頑固になるわ動かなくなるわでロクな事になりません。
もしかしなくても物質至上主義になって金金言い出すかもしれません。
他の元素も似たような感じで、過剰になるとまあいいことが無さそうなのはお分かりいただけるかと。
過剰な例を出しましたから枯渇するとどうなるのかの例も出していきましょう。
例えば火の元素はやる気だとかエネルギッシュだとかそういうのを司ったりしちゃうわけですが、これが枯渇すればやる気も熱意も出なくて何もできないわ~…みたいな、結局こっちでも何もできないのかよ!?みたいな不調が出てきます。
過剰にしろ枯渇にしろ、四大元素が偏るのはロクな事にならないのはお分かりいただけたと思います。
思いたいです。
四大元素については割と魔術の基礎的部分なので、多分この先ちゃんと詳しい解説が本書でも出てくるでしょう。
気になる人は先に調べちゃったり本書を読んだりしちゃってもいいのよ?
なので四大元素についてあーだこーだ言うのはその時まで取っときましょう。
さて、ドキドキワクワクの魔術名の宣言についていきましょう。
この宣言て奴、といいますか我は何々であるぞー!と意識することはすごく大事です。
もう本書そっちのけでその辺について語ってもいいくらい。
いや宣言がどんな意味を持ち宣言することでどんな事が起こるのかって事は魔術チックに本書に書いてあるので、その部分もお読みいただきたいのですが!
しかしここはタルパブログ!
タルパー的に宣言すること、意識・意図することがどういう風に役に立つのかについて語るのは、全くもって構わんだろう?
タルパー的にというのはある意味では語弊があります。
タルパーが己は何であるか宣言もしくは意識する事について語りたいのではなく(別にしてもいいけど)、タルパーが自分のタルパが何であるか宣言もしくは意識する事が大事なんだっ!って力説したいのです。
皆さん、自分のタルパがどういった存在なのか、もしくは何をする存在なのかって胸を張って言える答えがありますか?
別に何も一般的にタルパはこうである!っていう荒れそうな答えが欲しいわけではなく、自分の中で(最重要)己のタルパはこういう存在である!という確固とした意志が欲しいわけです。
先にもありました通り、魔術もタルパも意志力でなんやかんやしていくものです。
魔術は置いておいても、私のタルパはこういう存在である!という意識があれば、実際タルパはそのような存在になっていきます。
これがタルパの核だと言っても過言ではありません。
何とな~くタルパってのを作ってみるか~…でタルパを作っていくよりも、私はこういう存在を作るんだ!という核を持っていた方が、長続きもしますしタルパの強度も強くなります。
強度って何やねんってまあ存在がなんかちゃんとしたものになるっていう何かふわっとした何かです。
確固とした意志とか言っておきながらこの体たらく!
まあこんな感じなので色々言いましたけど、タルパがどんな存在であるかという意識を持つということについて、そんなに身構える必要はありません。
ふわっとでもいいので、自分の中に自分のタルパがどんな存在であるかという答えを持っておく、それだけを意識していただければと思います。
宣言だとか意識する事だとかの重要性がお分かりいただけた(ということにしておく)所で、この章の最後にありますのは(参考図書を除けば)宣言の儀式についてでございます。
この部分は、晴れて魔術結社に入社した後に行われる、言わば脱魔術初心者した後に行われるガチな奴なので、何がどうなってるのかこの時点ではよく分かりません。
まだ分からなくていい部分なんだと思う事にします。
大まかに考察していいのなら、まず自分の心身及び儀式をする場の浄化をし、リラックスしやすい服装をしながら呼吸や動作で精神を整えたり、何ならここで潜在意識の活性化なんかもやっちゃってるのかもしれません。
それから手順に則った儀式をする、と。
この儀式より前にする、この浄化・リラックス・呼吸法(からの潜在意識の活性化)は、どんな魔術においても基礎となる部分だと私は聞いております。
浄化はどうだったか分かりませんけど、部屋も心身もごちゃごちゃしてたら集中も何もあったもんじゃないので、入れちゃっていいんじゃないかな?と軽率に考えて入れました。
魔術の基礎には他にも視覚化が入るらしいのですが、それは儀式内で使う事になります。
そう、魔術の基礎には視覚化が含まれているのです!
タルパを作り始めたタルパーは、まずオート化視覚化をすることを目標にしている人が多いと思います。
その内の一つ、視覚化は魔術の基礎にあるわけです。
つまり魔術を学んでいけば、その内視覚化の訓練を通る、というわけです。
脱線しますが私個人としては、視覚化の訓練やその補助にタルパを使うっていうのもアリじゃないかな~…と思っております。
タルパ見たいから視覚化訓練します!ってモチベーション維持になるし、タルパがどんだけ見えるかで自分の視覚化レベルが上がってるかどうかも分かるし。
そんな風に本末転倒気味な人でもそうじゃない普通にタルパ見たいぜ!って人でも、視覚化に興味のある人は魔術方向から攻めてみるのもアリだと思いますよ。
手順に則った魔術名の宣言儀式の方も、どんな感じにやってるのかちょっとだけ考えてみます。
いきなり小五芒星の追儺儀式をやる、とか出てきます。
のっけからハードル高いですね。
しかもこの小五芒星の追儺儀式、魔術名の宣言儀式の最後にもやる、とあります。
この小五芒星の追儺儀式、どうにも魔術的な場の浄化・聖別儀式のようで、前後にこの儀式を挟むのも、ここから魔術儀式~魔術儀式ここまで、と魔術儀式をしている時間とその他の時間を区切る意図があるように思えます。
まるでHTMLにおけるタグのようですね。
HTMLってウェブページを作る時に使うプログラミング言語みたいなものなのですが、文書を修飾する時に
<font>ここに文書が入るよ!</font>
のように、前後に色々くっつけると、文書に色がついたり書体が変わったりするわけです。
そうする=タグで囲うことで、この修飾はこの文書にだけ適用するよ!と他の修飾のされていない文書と分ける事ができるのです。
なので小五芒星の追儺儀式はHTMLのタグ、いいね?
小五芒星の追儺儀式は、タグで囲われてる部分は魔術儀式だよ!って宣言するタグ、いいね?
まあそんなHTMLのタグみたいな儀式があるんだな~って事を思いつつ、タグで囲われてる部分を見ていきましょう。
まず、東を向きます。
それからなんだか難しそうな事を言ったりやったりしながら、門を開いたり引力を召喚したりして上左右前下の順で何かします。
んで何かした後で、前を向いて大いなる存在的な何かに、自分は魔術でこういう道を歩むぞー!と厳かに宣言。
何かする、の部分が気になりまくりなのは分かりますが、今の私には何をやっているのかよく分かりません。
ただ、引力を上下左右において均衡させている点を見ると、自分の位置(恐らく精神的な)の調整をしているように思います。
自分軸の調整ー!みたいなやつですきっと。
そんな自分軸をがっつり意識した状態でもって、自分は魔術でこういう道を歩むぞー!という宣言をするわけですから、なるほど宣言は魂の深い部分まで降りていき~という下りも間違いは無さそうです。(そういう文章が魔術の宣言の節の初めの方にあった)
多分ですけど、やってる事は自分軸(的な何か)に己が何であるかという宣言を刻み込む儀式なんですよきっと。
それを世界だとか大いなる存在だとかに広く知らしめている感じ、になるのではないでしょうか。
知らしめる、という行為は力を持つ、と私は思っております。
こんな感じで終わるとタルパー的にどうやって役立てるんだ…って頭抱えられそうなので、え~と、魔術についての訓練と理解を深めた後は、この儀式をちょこちょこ~っと改造して、自分のタルパがどういった存在か宣言するぜー!…っていう風に使う、ってことでどうでしょ?ダメ?
案がないわけでもないので、その内タルパー的タルパの存在定義儀式みたいなのでも構築してみようかしら?(予定は未定)
序章読んだだけでこんなに書いちゃったよ!
なんとも先が思いやられますが、この先も『実践魔術講座』を読んで、こんな風に感想的な何かを語り倒していきたいと思います。
感想的な何かっていうよりは風待凪沙のお勉強ノートみたいな様相ではありますが、こんな感じでいかがでしょうか?
さて、ここで宣伝もしくはお願いでございます。
ただ今、このブログを書いてる人はポルカにて投げ銭を募集中です。
ポルカの投げ銭ページへのリンク
いただいた支援はポルカにも書きました通り、今の所はタルパ活動略してタル活に役立ちそうな本を購入する代金にあてたいと思います。
支援のお礼はこの記事みたいなノリで感想記事を書く事になります。
言わばこの記事は支援お礼のお試し記事!
この記事を読んでみての改善点や感想等ありましたら、遠慮なくこの記事へのコメントでも風待凪沙のTwitterへのリプライでもポルカでのコメントでも、どこからでもお寄せいただけたらと思います。
特に何もなければ、この記事みたいなノリが続いていく事になりますので、修正をかけさせたいのなら今の内です。
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