2018年5月28日月曜日

タルパーだけど『神秘のカバラー』読んだよ!~一回目・第一部後編~

タグ: , ,
長らくお待たせしました、まだまだ続きます『神秘のカバラー』読書レビュー!(みたいなもの)

いや私としましてもあんまり長々と続けるのもどうかなあ…とは思っているのですよ。

今回の記事で第一部、つまりカバラーとは何なのか生命の木とはどういうのなのか、という部分が終わります。

この後はそれぞれのセフィラーについての考察が続くのですが、できれば第二部で一記事、第三部で一記事で終わらせたいなあ~…と思っております。


今後の希望を述べた所で早速本題に参りましょう。

前回投げたもとい長くなるからいったん区切った第七章からでございます。



第七章は、「至高の三角形」。

生命の木上に配置されたセフィラーを三角形になるような三つ組で考える事が何故大事なのか?ということについて語っている章です。

本文には
"「生命の木」とは本質的に言って、関係の、圧力の、反映の図式だからである。"(p68.4行目)

と書かれているわけですが、とりあえず図を出しましょう。


おなじみ生命の木の図です。

青い線で描かれた三つのセフィラーを頂点に持つ三角形が三つあります。

先程本文より引用した通り、生命の木とは関係の図であるので、一つのセフィラーを理解しようとする際は、その一つのセフィラーのみを考えるのではなく他のセフィラーについても考えなければならないのである!とダイアン・フォーチュン氏は力説しているわけです。

特に上記の図の中で同じ三角形に属しているセフィラー同士を考える事により、一つのセフィラーの理解が深まるのです。

勿論全てのセフィラーは結局は第一のセフィラー・ケテルから流出し、更に自分以前のセフィラーから流出してきているので、結果として全てのセフィラーは何らかの形で全てのセフィラーと関係している事になる、と思われるのですがそれはひとまず置いておきましょう。


さて、この章はそれぞれの三角形について考察する章ではありますが、三角形を考察するにはそれぞれのセフィラーについても最低限の知識がなければ説明のしようもない…ということで、この章の至る所で各セフィラーについての簡単な解説がなされています。

その為かこの章割と長い…じゃなくて、所々でいきなり各セフィラーの情報がぶち込まれます。

主に各セフィラーに割り当てられている惑星や神…だけならいいのですが、各セフィラーがカバリスト達に呼ばれている称号なんてのも出てきます。

これらのカバラー初学者には分からない称号等は、ダイアン・フォーチュン氏がここで考察する必要は無いってきっぱり言い切っちゃってます。

んじゃあどこで考察するのか?と言うと、第二章から始まる各セフィラーの考察の章で考察しているので、とりあえずここではそういった称号は置いておいて、必要が出てきたら惑星等を引き合いにだしていこうと思います。

惑星ならまだとっつきやすいはずだと信じて…!


なぜ三角形という形もしくは三つのセフィラーの組というものが一つの章を割いて説明するまでに重要視されているのかと言うと、生命の木が流出していく過程にあたり、"「対立する二極」に分化しなければ、いかなる顕現もあり得ない。"(p71)からであるのだそうで。

つまりとりあえず二つに分化しなくちゃ何も顕現しない、つまり物質世界に顕れてこないんですって!

更に言うなら、対立じゃ駄目で分化した二つを均衡させねばならないのだと出てきます。
その、分化した二極が均衡するのが三つ目のセフィラーというわけです。

つまり対立する二つと均衡させる(する)一つの、計三つのセフィラーでもって一つのグループというわけです。


分かりやすい(と思われる)均衡の図がこちらになります。

両端でゆらゆらしている○が対立する二極のセフィラー、うまくバランスをとっている△が均衡させるセフィラーです。

このゆらゆらしている○が勢い余ってぶれすぎちゃったりすると、クリフォートという生命の木が逆さまになった、悪徳たっぷりの木の方に行ってしまうんでないかな~と思いますが、クリフォートについての考察も後々の章までとっておきましょう。

また、セフィラーが流出もしくは生成されていったという過程を考えると、以下の図のように考えるのもいいんじゃないかな~…と思ったり。


①と②のセフィラーになんやかんやあってドカーンとなってにゅるっと③のセフィラーが出来上がる図です。

ごめん忘れて。


ここで一番上にあげた三角形の書かれた図を思い出していただきたいのですが、一番上の三角形だけ上向きです。


結局図を出しました。

多分言わなくても分かるんじゃないかなあ、とは思いつつも言っておきますが、この三角形だけ上向きなのは、この三角形で初めて対立する二極という概念ができあがるからです。

端折って言うとそんな感じだと思います。


これで何故生命の木において三角形もしくは三つ組が大事なのかという話はできた筈なので、私としましては先の章に進みたい気もするのですが…やはりそれぞれの三角形についての説明もしておいた方がいいのかしらん。

各々の三角形の説明は、そりゃあ真面目に魔術の道を歩む人にとっては大事だと思うのですが、それこそ『神秘のカバラー』読んだ方が早いと思うんですよ。

なのでそういう人とか興味がある人なんかは『神秘のカバラー』を読むなり自分で調べたりしてみてね!と言いつつ、ここではタルパー的になんかよさげだと思った所だけ書いていくぞ!と開き直ることにします。

ここで「じゃあ今まで長々と語ってきた一見タルパに直結しないような部分はどういう役に立つのさ?」という疑問がわくかも知れませんが、これは算数ができなきゃ物理の公式解くなんてとてもじゃないけど無理!っていうのと同じようなもんです。

何事にも、前提となる必要最低限に持っておくべき知識というものはあるのです。

似たような事をダイアン・フォーチュン氏もこの本の中で言ってました、たぶん。


さて、私が思うに、タルパー的に活かせる三角形はこれだと思うんですよ。


図にはアストラル三角形と書かれていますがこの三角形、他にも魔法の三角形と呼ばれているんですよ。

そう、魔法の三角形!なんとも魅力的な響きではありませんか!

この三角形は心霊現象に関係する潜在意識と超越意識であるとこの本にはあります。

魔術というものは潜在意識にどうにか働きかけてなんやかんやするものである、と私もどこかで言ったような気がします。

言ってなかったらごめんね。

詳細な考察はそれぞれのセフィラーでやる予定ですが、ここで簡単に触れておくと、第七のセフィラー・ネツァクは金星、第八のセフィラー・ホドは水星、第九のセフィラー・イエソドは月にそれぞれ対応しています。

金星は快楽の星、要するにここで人は嬉しいとか楽しいとか感じるわけです。

例えば、人は自分の中にある金星的部分でおいしいもの…そうだなあ、おいしいハンバーグ食べてるとこを想像して嬉しくなります。

水星は知恵の星、要するに人はここで頭を働かせます。

おいしいハンバーグを食べる想像をして嬉しくなった人は、現実にその嬉しさを味わう為に、ハンバーグのおいしいお店を探すだとかおいしいハンバーグのレシピを調べるだとか、そんな感じに頭を働かせます。

月は感情の星、実際の行動で色々感じるのはここです。

実際にハンバーグ食べておいしいなあ…とかおもってたのとちがうなあ…って結果を感じるのはここです。

ちゃうねん、金星と月どっちも感情っぽく見えると思うけど、金星はなんていうか愛と美の星でもあるんで、つまりは綺麗なもの快いものばっかりやねん。

実は私もそんなに占星術に詳しいわけではないので、正確かどうかは保証できないのですが、まあ雰囲気はだいたいこんな感じです。

魔術や魔法では、実際に現実に変化を起こしたいなら想像力で望む結果の見た目のみを想像するのみならず、望む結果を得た自分がどういう感情を持っているのかも想像した方がいい、とはよく言われているのですが、そうすることによりこの魔法の三角形を通じて物事が具現化することになるからそう言われているんです。と私は思っております。

だって生命の木は万物の造られる過程を表したものなんですから、これを使わない手なんてありませんぜ。

この辺りは、というよりも生命の木について初めて触れるのであれば占星術の知識があるとかなり有利です。

理解を深めていくとなると占星術の知識は必須!となるのですが。

なんだかんだ言って惑星は象徴としてタルパに取り入れるのも自分のタルパを考察するのにもお役立ちなので、ちょっとずつ学んでいくのはいかがでしょうか?

ううむ、やはり簡潔な説明なので色々足りない所があるなあ…。

まあそれは各々のセフィラーの解説の際にすることにして、先に進みましょう。

最後に、これは大事だなあと思いつつもどこに入れればいいか分からなかったのでここに入れておきますが、クロウリーいわく、木はカード検索ファイルで木に割り当てられる象徴はその封筒にあたるのだとか。

この概念があると木の扱い方がかなりいい感じになると思います!




次は第八章、「木」の原形。

ここは木の上にセフィロートを割り当てる方法は色々あるんだよ、と言いながら10のセフィラーを三つ、四つ、七つのグループに分ける方法について論じられています。

が、今の私的にはそんなにタルパに活かせる気がしないなあ…と端折りたくなる章です。

セフィラーをグループ分けする方法が色々あると何がいいかというと、カバラー以外の体系と対応づけることができるのだそうです。

つまり何でもかんでも生命の木に集約もしくは分類する場合にお役立ち、というわけです。

あとは、そうだなあ、前の章でもあったけどこの記事内で書いてないのが、生命の木においては力と形というこの二つが基本単位(単位でいいのかな…)という話ですね。

生命の木の各セフィラーは三本の柱にそれぞれ割り当てられています。


図の赤い縦線が柱です。

左の柱が峻厳の柱で、この柱に乗っているセフィラーは形のセフィラーに当たります。

右の柱が慈悲の柱で、この柱に乗っているセフィラーは力のセフィラーに当たります。

中央の柱はそのまま中央の柱で、この柱に乗っているセフィラーは力と形の均衡しているセフィラーになります。

二極に分化しなければ顕現はありえない!と先の章にもありましたね。

この、力と形という二極の作用によって物理世界が形作られているわけです。

力と形については、純粋な力を表すコクマー、純粋な形を表すビナーでじっくりねっとりやることにします。

…こんなもんでいいかしら?

はしょった内容が知りたい!という君は、是非『神秘のカバラー』を読もうな。




気を取り直しまして次は第九章、「四つの世界」における「十のセフィロート」。

ここでいう四つの世界とは、アツィルト界、ブリアー界、イエツィラー界、アッシャー界の四つを指します。

何でもこの四つの世界は霊的発展に大事なのだそうですが…タルパを霊的に発展させる方法に興味が無いとは言わないけど、まだそこに手をつけるのは早くね?というのが主な理由で消極的です。

タルパも魔術、と言いますかオカルト技能な時点でいつかは自分自身も霊的向上に努める事になるのかもなあ…と思ったりはしなくもないのですが、何事も物事には段階というものがありますし。

少なくとも私はカバラーを己の体系としたいわけでもないですしねえ。

というわけで、ここは割とカバラーをがっつり修行したい人には必須な世界観ではありますが、現時点のこのブログではさらりと流すことにします。


先に挙げた四つの世界、何が違うのかというと神の力の働き方が違います。

神ってまとめちゃうと紛らわしいのですが、カバラー的世界観ではどの道絶対的な一者のお力でこの世界は成り立っているので、そこはファジーに受け止めておいてください。

アツィルト界は神の力がダイレクトに働く世界です。

神の力がダイレクトに働くといっても神自らが汗水たらしてレンガを積み上げたりといった創作活動に励むわけではなく、神は設計者である、というようなことがこの本の中で書かれています。

つまりこのアツィルト界で万物の設計がなされ、後の界で実際に万物が組み立てられ運用されていくわけです。

これを踏まえてブリアー界は神の命を受けた大天使もしくは強力な霊が働く世界です。

更に下ったイエツィラー界は天使の軍勢が働く世界です。

どっちも天使が働く世界じゃ…?と混乱するかもしれませんが、ブリアー界の大天使は現場監督やもしくは会社の部長等のちょっと立場が上の指示出し層で、イエツィラー界の天使の軍勢はとかく肉体労働系の実働部隊です。

そしてアッシャー界は実際に万物が組み立てられ運用されている現実世界!

ここで働いているのは天使や神、ではなくて自然界の諸力です。

まあカバラー的には自然も神の創造物なわけで、結果として神の力が働いているといえなくもないでしょう。


さて、章題からはちょっと離れるけどタルパー的には興味があるであろう部分がいくつかこの章にはあります。

この本に何度も出てくる象徴とは一体何かと言うと、今ここで書こうとしている事柄的には、滅茶苦茶ざっくり言ってある力を喚起する為に用いるもの、という説明でいいかと思います。

逆に象徴がどのような理由で誕生するのかというと、"いろいろな型といろいろな次元の宇宙的な力の異なった顕現様態を現わすために形成されたのである。"(p99)とあります。

そして象徴の誕生経緯は、まず自然の要因・諸力の一部分を取り上げ、擬人化し、名前をつけ、そして象徴を作ることにより取り上げた自然の要因を魔術的作業において扱えるようにするのです。

この時点でタルパー的にはワクワクしてきませんか?

更に、そうやって擬人化され崇拝されてきたものは、アストラル界にそれを現わす思念像が形成されるそうですよ!

その上、この思念像に力を満たせば人工的な四大的存在になるともあります。

満たす力が宇宙的な力であるのならば天使的存在になるのだともあります。

"それゆえ天使的存在とは心霊的意識に明白に顕現する宇宙的な力であり、人間の想像力が形成した形姿なのである。"(p100)

さあ、タルパー的にはこの辺もうたまらないのではありませんか!?

私はたまりませんとも!ぐへへ。

この辺りはタルパを(魔術理論的に)作ろうとする際にも、タルパに力を持たせ引き寄せ願望実現その他タルパーの魔術的作業に付き合わせる際にも大いに参考になるかと思います。

というか参考にしよ?


この章については、今回はこんなものでしょうか。
折角この記事にも一回目と銘打ってあるわけですから、より詳細な考察は二回目以降に頑張ります。




テンション上がった所で第十章、「木」の「小径」。

この章ではご覧の通り、いわゆる生命の木のパス、ここでは小径と呼ばれているものの考察がなされています。

とはいうものの、それぞれのパスがどういうものなのかじっくり考察…という形ではなくて、パスというものはそもそも何なのか?という形の考察です。

ここ、そんなにタルパー的に琴線に触れない上に、瞑想に使う時の実践的教示は行うつもりだけど魔法の「実践カバラー」について書く気は無いよ!って明言されてるのもここなんですよね…。

なので木を瞑想で使う際にはここもしっかり読んでおいた方がよいとは思いますが、その先の魔術的作業をする際は密儀うけてね!って形になっているので、ちょっと拍子抜けかもしれません。

あと、ここで語られているパス・小径というものは22本あり、タロットの大アルカナにそれぞれ対応づけられています。

小アルカナは各セフィラーにそれぞれ対応づけられています。

というのも、今現在一般的に広く知られている(であろう)ウェイト版タロットは、そもそも元々のマルセイユ版タロットを生命の木に対応づけられるように改造したもの(だと私は認識しております)なので、当然といえば当然なのですよね。

なので、この章もしくはこの本の中でダイアン・フォーチュン氏は、タロットこそは神秘の収められた知識の書である!(※私個人の感想です)みたいに言っているのですが、それには時代背景もあるよなあ…と思っております。

まあタロット自体そういう背景で作られたものですので、タロットをお使いになる方は生命の木を学んでおくと、自身の占いにぐっと深みが出ると思われます。

また、タロットで出た結果に対して、生命の木を用いた魔術的作業を行うことにより、結果を補償したり強化したりと様々な干渉ができるようになります。

むしろそっちが真骨頂です。

ちょっとそういうの憧れるなあ、と私は思います。


また、本文中ではアストロロジーと呼ばれているつまりは占星術も生命の木を抜きにはありえない!とあります。

生命の木、アストロロジー、タロットの三つは、同じ体系の三つの局面である、とあります。

なので占星術をやっている方も生命の木を以下略。

ここではあまり占星術について(この本の中でも)あまり取り上げていないので、是非ご自分で調べてみてくださいね。




ようやく終わりが見えてきたかもしれない第十一章は、主観的「セフィロート」。

主観的セフィロートってなんやねんっていうとつまりは生命の木を人間に重ね合わせて考えることです。

よく魔術の世界で言われるのが、「上の如く、下も然り」という言葉です。

この言葉は本当に頻出なのでここで覚えて帰ってくださいね~。

この言葉は、マクロコスモス、つまり宇宙的にスケールの大きな世界で起こっていることは、ミクロコスモス、つまりはちっぽけな人間にも反映されているんだよ、ということです。

突き詰めれば逆もまた真なのかもしれませんがここでは置いておきます。

天体の位置や動きが人間や国の性格や動きに影響する、という占星術の考えはこの概念からくるものです。


さて、この章では各セフィラーが人間の物理的な上でも精神的な上でもどの部分に対応しているのかと、ヨーガとの配当について主に考察されています。

…ぶっちゃけこれを語るには知識が足りない、といいますかどうせ後で各セフィラーの章でも対応出てきますので、今回は!置いておきます!!!

いいね!?




そして次は第十二章、「木」の神々。

この章ではキリスト教から見た異教の神々…つまりはギリシャ神話やローマ神話やエジプト神話等の神々を各セフィラーに対応づけることについての考察がなされています。

これは私の個人的な苦言なのですが、私キリスト教のこういう異教とか言っちゃうとこあんまり好きではないんですよね。

まったくもう!ぷんすこ!

まあこれはダイアン・フォーチュン氏の書き方とか日本語訳の際の言葉選びなんかの問題かもしれないので、あんまり目くじらを立てるのはやめておきましょう。


さて、自然の諸力を人格化及び神格化したものが神々である…というのはさっき似たような事を書いたような気がしますね、うん。

また、そうした神々を象徴的に扱うことにより、人の潜在意識になんやかんやして…というのもさっき似たような事を書いた気がしますね。

あとアストロロジー・占星術ではそれぞれの惑星と○○座が重要になってくるわけですが、そのどちらにもまつわる神・まつわる神話が割り当てられているのは流石にみなさんご存知だと思います。

先程も書いたように、アストロロジーと生命の木は同じ体系の異なる局面である、ということは、占星術についての知識でもって生命の木に神々を割り当てることもできるということなのです。

…占星術、ちょっとずつでいいからやっていこうね。

この章もこんなものでいいでしょう。




ようやく第一部ラストの第十三章は、「木」に対する実践行。

ここまで長かった…長かったけどこの章も他の章と比べてまた長いんだわ…。

確かに実践について語っている章なので大事!だとは思うのですが、ダイアン・フォーチュン氏が魔法の実践カバラーについて詳しく書く気は無いよ!と名言している事もありますので、何とか短くまとめるよう、努力します!


とにかくダイアン・フォーチュン氏は実践は密儀を受けないでやると危ないから、一人で木に取り組む場合は瞑想でちょっとずつやっていこうな!瞑想やってて生命の木の深奥に触れてセルフイニシエーションつまり自己密儀参入をはたすのは全然構わないからさ!というスタンスなので、"以下の頁で、私は全力をあげて魔法の象徴体系を利用する際に働いているいくつかの原理を明らかにするつもりである。"(p130)というダイアン・フォーチュン氏の言葉は中々に頼もしいものだと思います。

というかこの人実は語りたくてたまらないんじゃね?と本文の熱量を読んでて思ったりもしますが、まあそれは置いておきましょう。


これまで象徴、象徴とこの本の中で何度も出てきた為、象徴がとっても大事なものだということはここまで読んでこられた方にとっては明らかな事だと思います。

そのとっっっても大事な象徴とさてどう向き合っていけばいいのか?ということもこの章では語られています。

本の中ではただ象徴を知識として知っているだけではだめで、その象徴と接触して実際に知っておく必要があるのだ、とあります。

要はその象徴に対して自分の中にその象徴を用いる事で得られた体験を積み上げていけ!ということではないかと私は思います。

生命の木には木の上には図示されていないダートというセフィラーがあるのですが、このダートは知識のセフィラーだと言われています。

知識を知ってるだけじゃだめだ~という部分は、知識のセフィラーであるダートが隠されている理由にも繋がってきそうな気が私にはしてくるのですが、皆様はいかがでしょうか。

知識はしっかりと自分の中に消化吸収して、自分の血肉として実際に扱えるようになるのが大事なのだ~!ということは、私いつも心に留めておいているつもりであります。

ダートの事は置いておいて、このことについてこの本の中に良い例えがあるので引用しましょう。

"魔法においては、ヴァイオリンを弾く時のように「自分の音を作り出す」必要がある。ピアノのように既製の音を見つける訳にはいかない。"(p130)

実に良い例えだと思いませんか?

ヴァイオリンってとこがちょっとなじみがないかも知れませんが、ヴァイオリンがピアノみたいに決まったキーを押せば決まった音が出る楽器ではないことは想像に難くないと思います。

めちゃくちゃ雑にかつスケール大きく言い換えるのであれば、魔法は一人一体系!一流派!ということです。


象徴や、セフィラーやパスといった生命の木の各部に接触する方法として、この本では瞑想を猛プッシュしているのですが、瞑想までいかなくてもいんじゃね?って私は思うのですよ。

なにぶん私は瞑想が苦手でね…瞑想が苦手というよりは瞑想をした後になんかやたらと気が滅入るんですよ私。

どこだったか忘れてしまったのですが、外国の研究機関で行われた研究によると、瞑想の後にネガティブになってしまう人というのも一定数いるらしいのですよ。

気になる人は自分で調べてみてくださいね。

まあ確かその研究でどんなタイプの瞑想が行われたか書いてなかった気がするので、全ての瞑想で気が滅入る、というわけではないのでしょうが、無理に瞑想にこだわる必要も無いと思います。

だってダイアン・フォーチュン氏も自分の音を作り出せって言ってるわけですし。

じゃあ瞑想以外にどんな方法で象徴その他に接触すればええねん!?と言いますと、私個人の考えでいいのであれば、とにかくその象徴についての知識を集めまくるのと同時に、その象徴に対して自分はどういう感覚を覚えるのか?ということを自分の内に求める事だと思います。

簡単に言えば、自分の内にあるものでその象徴に対して自分なりの説明つけて扱えるようにしろってことです。

集めた知識は自分なりの説明つけるための素材です。

人間なんて自分の内に無いものは扱えないもんなんですよ。

だから知識という素材を集めるのは大事、いいね?

知識を集めて君だけのオリジナルデッキをつくろう!(トレーディングカードゲーム感)

象徴に限らず、取り込んだ知識をあれやこれやとこねくり回すのは様々な事象に対して有効です。

こねくり回している内に、自分のすでに持っている思わぬものとの関連性が湧き上がってくるかもしれません。

この、突拍子もない関連付けができるということが賢いって事なんじゃないかなあ…と私はぼんやりと思うわけです。

あるいはこれこそが生命の木という体系を用いる理由なのかもしれません。

ていうか生命の木は関係の図だっていうんだから、これができるように生命の木を使って鍛えようぜ!っていう話なのかもです。

生命の木を使えばある程度象徴の関係性が限定されますので、それこそクロウリーの言うようにカード検索ファイルとして扱いやすいと思います。


あとこの章の後半部には、植物や鉱物、または香り等をセフィロートに対応づける方法についての考察がさらりとなされているのですが、これはここで書かなくてもいいよね?

気になるだろうとは思うのですが、この辺はそれこそ他の本を用意した方がいいと思います。

ちなみにこの本の中では鉱物の部分、つまり石の対応について考察している部分に書かれている「水晶」という単語は、鉱物としての水晶を指すのではなく天然石全般としての「クリスタル」の事を指すのではないかなあ、と思います。

紛らわしい事に、英語だとどっちもクリスタルって言うんですよね。




これでようやく第一部については語り倒せたと思います。

私の未熟さゆえに不足な部分はあれど、現時点の私的には十分語り倒せたと思います。

次なる第二部からは各セフィラーの考察に入っていくことになります。

『神秘のカバラー』では各セフィラーの考察に入る前の第一部の時点でちょくちょく各セフィラーについて言及しているのでもどかしいったらありゃしないのですが、これでようやく各セフィラーについてのまとまった情報が手に入るってもんです。

各セフィラーについての理解を深めた後で第一部に戻ってみると、格段に読みやすくなると思いますぜ。

それではまた次回!

2018年5月12日土曜日

タルパーだけど『神秘のカバラー』読んだよ!~一回目・第一部前編~

タグ: , ,
というわけで第一部!

第一章は、「西洋人のヨーガ」。

要約すると、カバラーというものはこれこれこういうもので西洋人の心の仕組みに合ってる体系だから西洋人はカバラーやろうぜ!というようなことが書いてあります。

魔術でもなんでも、何かを学び修める場合には自分に合ったやり方をとることが、ありとあらゆる場所でおすすめされております。

また、魔術においては体系という、私の言葉で記すならば己の内に築き上げる世界観がとっっっっっても重要視されます。

簡単に言えば、世界はこういう原理で動いてるんだからその原理に沿って構築した理論が効果を発揮するのは当たり前、という信念のようなものです。

体系もしくは世界観もしくは信念が何故恐ろしく重要視されるのかと言いますと、それを語るだけでまた長文の記事が書きあがってしまう程の分量になりますので割愛しますが、魔術でもタルパでもなんでもいいのですが、オカルト技術というものは総じて己の潜在意識にどうにかこうにか働きかけてその効力を発揮します。

そう、己の内に働きかけるのです。

己の内に働きかける以上、自分の中にその働きかけが引っかかるモノがないと何も起こりません。


相変わらず雑な図で例え話をしましょう。

上の図の中で左上から伸びている引っかけ棒が、自分に合っていない体系や世界観に沿って構築した術だと思ってください。

自分の中に丸いモノしかないのに釣り針みたいな働きかけをしたって文字通り何も引っかかりませんし、何も動かすことはできないことは想像に難くないと思います。

では、自分に合った体系や世界観を使うとどうなるのでしょうか?


はい、引っかけられましたね!

こうして引っかけられたモノがいい具合に働いて、物理世界に効力として具現化するわけです。

こらそこお玉型最強じゃね?とか言わない。

自分の内側にあるモノが丸い形をしているモノだけとは誰が言った。



…以上の三つの図はあくまでもイメージ・例え図ですので、※実際の術の働きの図とは大いに異なる場合がございます。

とにかく、自分に合った体系や世界観を持つことはとっても大事な事なんだな~、ということが分かっていただければそれで充分です。

んで!

主に魔術世界にて扱われるカバラーというものは多大に一神教的世界観を含んでおります。

というよりは、カバラーというものが元々は聖書を研究することで世界の真理に至ろうというような学問であった、という話がありますので、もろ一神教です。

この部分あんまり自信が無いので、私の浅学を大いに嗤いつつ、興味のある人は自分で調べてみてください。



第二章は、「小径」の選択。

この章では、いかにカバラーが西洋人向けの体系なのか、また自分に合っていない体系を選ぶことがいかによろしくないか、についてダイアン・フォーチュン氏的な考えでもって語られております。

はい、第一章にもありましたが、どうにもダイアン・フォーチュン氏はカバラーを西洋人向けの体系である、という前提でもって『神秘のカバラー』を書かれているようなのです。

この章まで読むと、あれ?カバラーって日本人向けじゃないんじゃね…?という不安感にかられます。

多分実際に向いてないんじゃないかな~…とは私も思います。

日本人と西洋人の違いは沢山あります。

まずは言葉が違います。

使用している言語によって脳が異なる発達をする、という話もあるくらいです。

次に、現代に至るまでに辿ってきた歴史が違います。

近代の歴史は勿論として、そもそも原始時代に主に採集をしていたか農耕をしていたか狩りをしていたか、といった違いにより、食生活の違いからそもそも体の細部の構造?働き?が違ったりします。

海藻には栄養(おそらくカロリー的な意味で)がないからダイエットにオススメ!という話が出回った後に、でも日本人は長らく海藻を食いまくってたので海藻からも栄養が取れるようになっていた、というオチがつくくらいです。

この辺うろ覚えなので興味のある人は自分で調べてみてね!

また、現代に至るまでに置かれてきた環境が違います。

環境が違えば世界の見方が違ってくるのは想像できるかと思います。

例えば、温暖な地域に住んでいてとれる食物も豊かな地域と、寒さが厳しく食物がとれないどころか凍死の危険性すらある地域とでは、世界は全く違ったものに見えることでしょう。

そしてこういった違いの集大成とも言えるのが、宗教の違いです。

カバラーがその根元を宗教に根差している以上、この違いを見過ごす事はできないでしょう。

なので、私はカバラーって日本人に向いてないんじゃないかな~…と思います。

ただ、向いてないからといってカバラーについて学ぶことが全くの無駄足になるかというと、全くそうは思いません。

日本人がカバラーを学ぶことは、確かに日本人オカルティストにとって有益です。

カバラーを自らの体系として拠り所にするのはちょっとな~…ってだけです。

別にどうしてもカバラーを自分の体系にしたいんだ!って言うんなら止めるつもりはありませんが。

自分はこれを習得するのに一般的に有利ではないとされるけれど、それでも自分はそれをしたいんだ!というのもそれはそれで大切な衝動だと私は思います。

何故有益なのかという話も簡単にしておきましょう。

西洋魔術だったり引き寄せだったり、おおよそ西洋由来のオカルト技術というものは、根っこにカバラー的な考えが流れております。

ですので、カバラーについて知っておくことは、そういったオカルト技術の研究に物凄く役立ちます。

むしろカバラーを知っておくことで、己の内に築き上げていく自分だけの体系・世界観の強化に繋がります。

これは私の持論なのですが、カバラーだろうが宗教だろうが本当の本当の根っこでは、実は同じこと(特に力の働き方の原理など)言ってんじゃね?って思ってます。

それが集合無意識だと言われちゃうと何ともいえないんですが。

要は、同じ山を登るのにどの道から登ろうが、登り続けてさえいれば同じ頂上に辿り着く理論です。

このことについては色々言いたいことがあるのですがどうせ長くなるのでやめておきます。

日本人がカバラーを己の体系とするのはびみょ~…だと思うけど日本人がカバラーを学ぶのはめっちゃ有益だと思うよ!ということだけ、ご理解いただければ幸いです。



第三章は、「カバラー」の方法、と書いたところでふとこの本何章まであるんだっけ…?と思って見返してみたのですが、第一部だけで第十三章までありやがる…。

ええい、こんなんじゃいつまでたっても書きあがらんわ~!!!

ちなみに全体で第二十七章まであります☆彡

…やってられっか~!!!!!

わたしゃとっととネツァク・ホド・イェソド・マルクトのいわゆる低次のセフィロートの章の考察まで行って、そこで生命の木的タルパの作り方とか引き寄せとかの考察をしたいんすよ!

まあ具体的な実践法ってのはこの本だけだと全然足りない(特にイェソドは恣意的に書かれてないっぽい)ので、そんな深いことは書けないんだけどさ!

というわけで、ここからは駆け足(当社比)で語っていきたいと思います。

第三章は、「カバラー」の方法。

先にもあげた生命の木を瞑想に使うことがどんなに有用かということが丁寧に書かれています。

何でも、生命の木は単独の象徴ではなく複合的象徴であるからして、心が勝手に象徴ごとの繋がりを連想していくシステムが出来上がっているので、心の鍛錬(連想的な意味で)にもお役立ち!…みたいな感じです。

私はこの、心の鍛錬にも使えるって部分にとても感銘を受けたんですよね。

『神秘のカバラー』を読む前の私は、カバラーなんて何でも唯一神にこじつけて考えるためのやつだろペペペー!(大変な偏見)と思ってかんなり敬遠していたのですが、実はそうではないのだということを、この章で知ったわけです。

いや唯一神ありきな所は変わらないのですが、『神秘のカバラー』を読んだ後だと、システムや構造としては見習う所が大いにある体系なのだなあ…と思います。

『神秘のカバラー』を読んで良かったと思います。

ちなみに、前回の記事で引用した生命の木って何ぞや?という文章はこの章の冒頭部分にあります。

第四章は、「書かれざるカバラー」。

一口にカバラーと言っても色々種類があるんだよ!ということと、紛らわしい生命の木の構成の解説が書かれています。

紛らわしいっていうのは、生命の木の図は一つなのに四つの次元の事を考えなきゃいけないところだったり、生命の木には各セフィラーを繋ぐ小径(パス)というものが全部で22本あるのですが、ここに割り当てられる象徴「十二宮」・「七惑星」・「四大」を合わせると全部で23になっちゃう理由だったりだとかが実に紛らわしいんですよね。

多分生命の木の密儀を受けていないものが軽々しく扱えないように…(嫌がらせではなく危なかったりするから)とかそういう理由もあったりするんだろうな、とは思うものの、それでも紛らわしいことに変わりはないと思います。

その点ダイアン・フォーチュン氏は、密儀の詳細等の隠すべき場所は隠しつつもかなりの部分を『神秘のカバラー』内で公開しているので、まあ初学者的には有難いな、とは思います。

第五章は、「否定的存在」。


はい、前回の記事でも出したこの図の上のうにょうにょの部分が否定的存在の部分です。

この章ではこの部分について語っている章です。

(私が現時点で出した)結論としては、私達の世界の中では存在していると定義できないけど、世界の外側では確かに存在しているものについて、とりあえず否定的存在って言っておこう、みたいな感じです。

虚数iみたいなものです。

ちなみにiはこの本の最後の方に出てくるクリフォートというものにつけられる記号でもありますので、その辺りは混同しないようにしてください。

要は名前をつけることによって人間にも扱えるというよりは考えられるようにしよう、ということですね。

名前が無いものに対して、それを人間は考えることができません。

この話も語ろうと思えばえげつないほど語れるのですが、豪快に省略です。

いい加減全然駆け足になってないのに、これ以上長くなってたまるか~!

等と言いながら第六章は、「オツ・キイム」、「生命の木」。

いきなりオツ・キイムとか出てきましたが、これは生命の木のヘブライ読みだそうです。

ここでは、生命の木は全体として把握しておかなきゃ駄目だよ!というわけで、生命の木全体の説明…といいますか、パーツごとの解説がなされています。

家具を組み立てる際の説明書に、これはねじといい、部品を結合させるために使用します…というような、内容物の説明が載ってるようなもんです。

あと何故かやたらケテルが引き合いに出されるのですが、第一のセフィラーだからってことにしておきましょう。

次なる第七章は、「至高の三角形」。

…といきたい所ですが、ここで私の中の小宇宙が「ここは語らねば…!」と囁いている為、ここでまた分割させていただこうと思います。

ここをぶっ飛ばすのは非常に勿体無い!と思うのは、この第七章「至高の三角形」ってタイトルにしておきながら、それ以外の三角形についてだとか、生命の木上で何故各セフィラーを三つ組みにしなきゃいけないのかとか、セフィラーの多少の解説とか象徴をセフィラーごとに分類する振り分け方とか、生命の木を学ぶにあたって重要そうな事が一杯かいてあるんですよ!

というわけで、この章についても当然長くなります。

覚悟しておいてください。

(続く)



2018年5月9日水曜日

タルパーだけど『神秘のカバラー』読んだよ!~一回目・前置き~

タグ: , ,
凪沙は打ちひしがれていた…。

『神秘のカバラー』の余りにも難解、かつ深遠なるその内容に…。

こんなもの、どうやって記事にすればよいのだ、そもそも私ごときが『神秘のカバラー』ひいては生命の木に関して何かを語る等、おこがましいにも程があるのではないか…?


そう、これがいわゆるドツボにはまるってやつです。

まあ、んなこと言ってたら私、何も言えない&何も書けないになってしまうので、未熟さをお供に心は熱く、『神秘のカバラー』について語り倒していきたいと思います。

☆本編に入る前の注意事項☆
・この感想書いてる人はオカルトオタクです。
オタクなのでその知識は深い所は深いけど浅い所はさっぱり…といった、局所的なものとなっております。

・所詮一人の人間の感想なので、色々なフィルターがかかっております。
本の内容に興味を持たれましたら、実際にご自分で読んでみるのをおすすめします。
自分で読んでみて考える、これ大事。

・今回読んだ文書の著者様もしくは魔術結社と私とは何の関係もありません。
強いて言うなら本を書いた人とその本を読む人です。

・今から書きますのは私個人の感想です。
浅学ゆえの間違いや解釈違い等もあるかと思いますが、その間違い等は私個人に由来するものであり、読んだ本の内容を損なうものではありません。


今回読みましたのは
『神秘のカバラー』
(ダイアン・フォーチュン著、大沼忠弘訳、新装版第8刷)
でございます。

・難易度…めっちゃ難しい
易しい★★★★★難しい

・情報量…とても多いけどあとほんの少しだけ足りない
少ない★★★★☆多い

・情報の濃さ…めちゃくちゃ濃い
薄い★★★★★濃い

・面白さ…大変興味深い
not for me★★★★★面白い

・こんな人におすすめ
☆生命の木に興味があって、ある程度の知識があるけどもっと濃い知識が欲しい人
☆西洋魔術の知識が多少あって、もうちょっと踏み込んだ理解を望む人
☆生命の木について、ネットでよく見かける情報だけじゃ物足りない人
☆文章を読みながら、内容をどうにか自分の使えるものにできないか、と試行錯誤するのが好きな人
☆難解な文章に挑むのが好きな人
☆文字が読めれば何でもいい、活字中毒な人

・こんな人は読むのをちょっと待った方がいい
★カバラー、生命の木という言葉に触れるのはこのブログが初めてです!という人
★タルパ以外のオカルト知識をあまり持っていない人
★性というものに激しい抵抗感がある人
★魔術なんて危なげ物騒なものに足を踏み入れたくない人
★お手軽実践法を求めている人
★読んだだけで魔術の熟練者になれる本を探している人

・この本を読んだ感想を手短に
カバラー及び生命の木について学んでいく上で、避けては通れない本だと思えるけど、最初に読むには難しいと思う。
また、書かれているのは知識が殆どで、具体的にどういうやり方で生命の木を用いた実践ができるのかは、全くと言っていいほど書かれていない。
この本に書かれている生命の木についての知識をタルパに活かすのは十分可能だと思うけど、タルパに活かす為の知識や頭の使い方や実践方法が他にも必要。

・これから読もうと思っている人に一言
この本を読む事で、カバラーの知識のみならずその他おおよそのオカルト知識がぐっ…!と深まること間違いなしです。
ですが、本文が難解かつ理解に大変頭を使うので、休憩をはさみつつ、ゆっくりと読み進めていく事をおすすめします。



私未だにこのブログの読者層が分からないのですが、一応タルパブログと銘打っている以上、私としましてはタルパーの皆々様に向けて書くのがよろしかろうと思っております。

あとオカスピクラスタの方々とか。

オカスピクラスタの方々なら多少なりとも聞き覚えのあるであろうカバラーという単語、タルパー的には知らない人結構いそうだなあ…って思ったりしています。

まあカバラーもしくはカバラって言葉を知らなくても、生命の木って言葉ならタルパに興味を持つ層には聞いた事ある人いるんじゃないかしら。

そう、この『神秘のカバラー』という本こそは、著者のダイアン・フォーチュン氏がカバラーひいては生命の木について熱く語っている本なのです!

もしくはこう言ってもいいかもしれません。

この本は、ダイアン・フォーチュン氏の生命の木の使用例です。

つまりダイアン・フォーチュン氏が生命の木を使ってみたら、生命の木はこんな中身になったよ!というのを、ある程度解説している本ということになります。
(※個人の感想です)

生命の木の使用例、ってそもそも生命の木って何やねん何にどうやって使うものなんや、というと長くなるのですが、私がこの本から読み取った生命の木というものについてまずは語っていきましょう。

生命の木は一般的には、この宇宙が造られる過程で通ってきた道筋、もしくはこの宇宙はこの順番で出来上がった!というものを図示したもの、と言われております。

といいますか私はそう受け取っていました。

『神秘のカバラー』内の文章にはこうあります。
”「生命の木」として知られている奇妙な象徴体系は、顕現宇宙と人間の魂におけるあらゆる力と要素を図式的形象に還元しようとする試みである。それらを互いに相関させ一枚の地図の上に広げてみせることによって、それぞれのものの相対的位置がわかるようになり、それぞれの関連を後づけることができるようになる。簡単に言えば「生命の木」とは科学、心理学、哲学、神学を一つの形に要約する図式なのである。”
(p30、2行目から6行目まで)

中々に難解な文章ですね。

文章だけでは分からないと思いますので、図形も出しましょう。


生命の木(The・手書き)の図です。

見にくかったり字が下手だったりしますが、あきらめるか各自生命の木の画像を検索してください。(生命の木の画像検索結果ページ)

詳しいもしくはまともな解説は他のウェブページ、もしくは『神秘のカバラー』読んでねということで、ここでは簡単あるいは私の主観が入りまくった説明をしていきます。

一番上のうにょうにょ~とした部分が今私達のいる宇宙の外側です。

宇宙の外側なので宇宙の内側から見れば存在しないもの、つまりは未顕現ということになります。

その未顕現の何かに何かがあって、この宇宙が造られ始める、もしくは顕現していくのですが、この顕現の過程が画像の中の丸い部分、つまりセフィラーになります。

未顕現の何かに何かがあって、とありますが、巷ではこれを流出と呼んでいます。


流出の図(※画像はイメージです)

つまりうにょうにょ~とした部分から流出して初めのセフィラーが顕現し、初めのセフィラーから流出して次のセフィラーが顕現し…という流れが最後のセフィラー、つまり物理世界に至るまで続きます。

さらりとセフィラーなんて言っちゃいましたが、セフィラーって何ぞや?といいますと、ぶっちゃけわかんない…う~ん、セフィラーごとに割り当てられている権能が作用している場所…とでも言いましょうか。

割り当てられている、というよりはそういう権能が顕現している、と言いますか…未顕現もしくは前のセフィラーから流出した結果、そういうものとしてそのセフィラーが顕現した、ということになるのでしょうか。

実に難解ですね。

もしくは私の説明が下手ですね。

セフィラーというものがどういうものか語るよりも、セフィラーというものがどういう働きをするのか、について語った方が逆にわかりやすいかもしれません。

よしその方向で行こう。

セフィラーは各々のセフィラーごとに、様々な物事を分類して入れておく事ができます。

例えば体の部位やハーブ、多神教の神々などといったものを、それぞれに対応するセフィラーに分類することができます。

また、セフィラーは諸々の象徴を分類するのみならず、瞑想等の象徴として使うこともできます。

更にセフィラーごとに当てはまる適切な魔術的作業を行えば、宇宙が造られるのと同じようにして、その魔術的作業の目的、いわゆる願望をこの物理世界に実現させることができます。

これは私が思うに過ぎないセフィラーの働きですので、まだまだ他にもセフィラーの働きというものはいっぱいあります。

なぜセフィラーにこういう働きが可能なのかというと、この宇宙が造られる時に、各セフィラーが造られると共に、各セフィラー内で万物の各セフィラーに対応する部分もまた造られていったから…ということになると思います。

つまりセフィラーは被造物であると同時に創造する場でもあったわけだよ!!!

ええい、なんと難解な!

私は『神秘のカバラー』について語り倒すとは言ったが、生命の木について語り倒すとは言ってないんだぞ!

生命の木について語るのは私の手には余るので、これ以上ぼろが出ない内に(もう出てるけど)生命の木の説明を切り上げます。

生命の木について詳しく知りたければ『神秘のカバラー』を読むのじゃ…読むのじゃ…。



さて、多少なりとも生命の木への理解が深まった所で(希望的観測)、『神秘のカバラー』の考察のようなものへとまいりましょう。

『神秘のカバラー』には目次の後に生命の木の図形が載っているのですが、この本の中で図形が載っているのはここしかありません。

本文を読み進めている内に何度も生命の木の図形を見たくなるのでちょっと不便です。

利便性を求める方はあらかじめコピーをとっておくといいかもしれません。

『神秘のカバラー』は三部構成になっていて、第一部ではカバラーというものが何か、生命の木というものが何なのかという全体的な説明…というよりは熱い考察がなされています。

第二部では第一のセフィラー・ケテルから第六のセフィラー・ティファレトまでの6つのセフィラーの考察を、第三部では第七のセフィラー・ネツァクから第十のセフィラー・マルクトの考察及び生命の木の影の部分であるクリフォートの簡潔な考察、それから全体を通しての結論が書かれております。

何故セフィラーの考察が二つの部にまたがっているのかと言いますと、第一から第六までのセフィラーは高次のセフィロート、第七から第十までのセフィラーは低次のセフィロートと分けて考えられているからです。

さらりと出てきたセフィロートという単語はセフィラーの複数形です。

何でも、低次の4つのセフィラーは『堕落』の影響を被っているそうな。

低次のセフィロートが堕落の影響を被っている図(※画像はイメージです)

よく分かんなければ低次のセフィラーはより物理世界寄りで、第六のセフィラーから上は決定的に非物理世界寄りになっちゃってるとかそんな解釈を今の所はしておきましょう。

…さて、ようやく本文に入る前に語っておいた方がいいと思われる事を語り終えました。

これでようやく、本当にようやく本文を語り倒す事ができるぜひゃっはー!

本文を語り倒すにあたってはタルパー向けに何かタルパに役立ちそうな形で語るんだ…!ということを念頭に置きつつも、たぶん語ってる間に頭からすっぽ抜けます。

振り落とされないよう注意してお付き合いください。

(続く)