2015年1月12日月曜日

満たされぬ者への戒め

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To:自分
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というわけで今回の記事は、なかなか寝付けない自分宛です。
後から見返してきゃー!!!はずかしー!/////ってなっちゃう類の。
タイトルでなんか説教臭さを感じた人はリターン推奨です。
偶々この記事に辿りついちゃったからって、わざわざこんなしちめんどくせー文章を好んで見る必要など無いのですよ。































私は全然凄い人ではないので、凄い人に憧れる。
私も何か凄い事が出来るようにと願い、色々とやってみる。
それでも出来ない事の方が全然多いので、出来ないという事に苦しむ。
決して埋められない溝を嘆き、自分に出来ない事が出来る人を妬み、何故自分には出来ないのかと悲嘆に暮れる。
そんな情けない人間こそ私である。
きっと自分の事を特別な人間だと思いたいのだろう。
しかし、その一方で特別ということを嫌悪するのが私だ。
特別であってたまるものかと。
特別というものは人から貼られたレッテルだ。
特別というものは持って生まれた素質だ。
冗談じゃない、そんな物で私を決めつけられてたまるものか。
特別を望むなら、誰の承認も得ず己の力でなってやる。
そうまで言い切って私は何を望んでいるのか?
分からないのが現状である。



とここまで書いて思うのは、現代日本におけるタルパって別に特別な存在ではないよねって事で。
こんなに広まって、万人に門戸が開かれている以上、誰だってなろうと思えばタルパーになれるわけで。
それをさも『タルパを持たない一般人よりも崇高である』と思い上がっちゃいかんよね。
何か変な事やってはいるけど、まだまだ一般人、つまりは凡人の範疇だよ、と。
でもさー、ちょっっっっっっっっとでも一般人がやらないような事やってる身としてはさ、もうちょっと凄い事やらかしてみたくなるわけよ。
まあその思い込みが…って奴なのですが。
というわけで色々とやってはみるものの、まあうまくいかない。
うまくいかないってか望みが高すぎて満足できない。
ただ、その望みってのが『何か凄い事やらかしてみたい』だからさ、そりゃどうにもならんっての。
明確にこれやりたい!っていう意志があるならまだしも、んな漠然とした妄想でんな凄い事できるか〜い!って。
んじゃとにかくやりたいこと全部出来るようなオールマイティーになりゃいいじゃん!って思っても、まあ道のりは遠いよね。
だからこそ余所様に出来て自分にゃ出来ない事に嫉妬しちゃうわけですが。
自分より凄い他人なんて認められるか〜い!とか書くとめっちゃ心狭い人に見えますけど、これ、自分に対する要求が高いからこそ起こる事なのよね。
自分は凄いんだからあれくらい出来て当然だろ何で出来ないのさ〜!くっそ〜!悔しい!認めてたまるか!って。
こうして書いてみると心の狭さ倍増ですね。
でも、そんな人はそんな自分の狭量さに傷つくんですよ。
元はと言えばあんな事やってみたい!っていう憧れからくる物なのですから、そりゃあ苦しむ苦しむ。
憧れるって事は好意を持ってるって事にも繋がるわけで、何で好きな人に対してんなドス黒い感情を持たねばならんのだ、と苦しむわけです。
…はぁ。
ならばどうすれば苦しまなくなるのかと言えば、答えは簡単で、自分でも何か凄い事できるようになればいいのだ。
絶対的に見て、自分と憧れの人にはすんげぇ差がある。
認められねーぞ!って言ってるのは、憧れの人の価値を(相対的に)落とす事によって自分との差を縮めようって魂胆なわけです。
でも、あくまで見かけ上、てか実際は何も変わっとらんのですよ。
そりゃ延々苦しみ続けるしかないわけで。
見かけ上じゃないやり方ってのが、自分の絶対的な価値を上げるって事なのです。
…それが簡単にできりゃあ苦労しねーってーの!!!
………まあまあ落ち着いて。
要は自分の価値とかそういうモンに拘らなくなればんな苦しみとは無関係になれるのでしょう?
それなら手っ取り早い方法がありまっせ!
気にしないって事でさあ!
…それができないから苦しむ事になってんだろ〜が〜!!!



…とまあここまで書いてきてふと気がつくわけです。
そもそもタルパってそういうものだっけ?と。
タルパという術において重要なのは術者とタルパ。
そう、それだけです。
自分の価値だの凄い事できる他人だの考える方がおかしいわけです。
てか、そういう事考えてる間、肝心のタルパはどうなってるのでしょうか。
タルパで凄い事…。
ちゃんと自分のタルパを信頼する事が出来ているのならば、その信頼が自分にとっての凄い事を引き起こす筈なのです。
例えそれが他人から見て些細な事であったとしても、当人には凄い事なんだからそれでいいのだと。

他人のタルパが出来る事を見て、それが刺激となり自分達の成長に繋がる。
そうできればそれがいい。
でも、必要以上に他人に執着する事は何にもなりません。
ぶっちゃけ苦しいだけっすよ。
んな事してる暇あるんだったら、自分とタルパの理解を深め、信頼を強めていけばいい。
そうしていれば、いつかきっと自分にとっての『凄い事』が実現できるだろう、と私は思います。



まあ、「信じなさい…信じなさい…信じなさい…(フェードアウト)」って言ってるだけじゃ怪しい宗教みたいで嫌なんですけどね。
タルパを盲信するっていうのもイカンのですよ。
そうじゃなくて信頼関係築けって言ってるんす。
俺もお前もみんないい、そんなwin-winの関係を…って何か違うな…。
タルパを信じるに足る存在だと認識せよ!
そして自分がタルパから信頼されるに足る存在であるようにせよ!
…とか?
最初のはまあ、「コイツが自分に悪い事してくるわけねーべや」とかそんな軽い感じでいいと思います。
自分の事大事に思ってくれてる存在なんだな〜、とそんな感じで。
でも、タルパにばっかり要求するんじゃいかんのですよ。
てかタルパばっかり凄い事できるようになっちゃったら元の木阿弥っすよ。
自分がそれに釣り合うような人じゃなきゃ、元も子も無いじゃないですか。
タルパは自分にとって都合のいいだけの存在ではない。
でも、自分を大事に思ってくれているからこそ甘い言葉も苦い言葉もかけてくれる。
それを汲み取って活用するのは自分です。
流されるな耳を塞ぐな、そして最後には己の意志で決めるのだ、と。
………こんな小難しい事考えてるから苦しくなっちゃうんだよくそ〜!!!
ええい、タルパが自分を大事にしてくれるように、自分もタルパを大事にしようでいいじゃないか!じゃまいか!
お互いが気持ちいいように日々を楽しく過ごしていけばいいじゃない!
考えるな〜!感じろ〜!


…こんなんで私はちゃんと薫さんやオズの事を大事にできているのだろうか。
最近は自分の事で手一杯で、意味不明なあたり方すがり方をしているからなあ…。
もうちょっと気楽に考えられるよう、精進していきたいものです。
んでもって、他人を大事にできるように、まずは自分を大事にしたいものです。

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