2016年4月7日木曜日

君はそれを選んでもいいし、選ばなくてもいい

問いには答えがあってしかるべきだが、答えにだって問いが必要である。



はてさて、幾度となく話題に上るのが、『タルパとは一体何なのか?』
様々な時様々なタイミングで話題に上っては色々な所をお騒がせするこの問いですが、答えは明確です。

タルパとは、チベット密教の修業法の一つである。
これに関してはタルパ×コンプレックスという書籍に素晴らしく纏められているので是非是非読んでいただきたい所。

そんな明確な答えがあるというのに、じゃあ何で議論が終わらないのかって言うと答えはやっぱり簡単で。

みんな見てる物が違うんだから答えなんて出るわけ無いじゃん!

あのさ、UMAってあるじゃん?
ほらネッシーとかビッグフットとかヒトガタとかそういうのを纏めてUMAって言ってるじゃん。
このUMAも、どういう物なのかから存在するかどうかまで議論が絶えない存在です。
「私ネッシーは魚か何かの見間違いだと思うな~。」
「僕はビッグフットは古代種族の生き残りだと思う!」
とかって色々言われてるじゃん。
…今なされている『タルパとは一体何なのか』議論は、このネッシーやビッグフットを全部まとめてUMAって言っちゃってるに等しいと思うんだ。うん。
そりゃ答えなんて出るわけねーべや!
だってみんな違うもの見てるんだもの!!!
ネッシーは魚の見間違いかもしれないけど、魚をビッグフットに見間違える事は無いでしょう?
でもネッシーもビッグフットもどっちもUMAって言っちゃったらどっちかどっちだか分からないじゃないですかーやだー!

…今の『タルパとは一体何なのか?』議論もそれと同じ状態だと私は言いたい。
いやUMAとタルパは全然違うでしょ!?タルパって一つのものなんじゃないの!?というあなたの為にもう一つ例を出しましょう。
あんな、鏡ってあんじゃん鏡。
…同じ鏡を見ても同じ像が見えるわけ無いじゃん!
まず見る人によって鏡に映るものは違うし、同時に同じ鏡を見たとしても見る角度はどうしたってズレちゃうんだから、同じものが見えるわけが無い。


というわけで、『タルパとは一体何なのか?』という問いは無意味なものだと私は思うのよね。
無意味というか問いが違う。
『今自分の隣にいるこの存在は何なのか?』が問いとして正しいと思うの。

ぶっちゃけあなたの隣にいるそれが何なのか私ゃ知らんわ。
そんなの自分の中から見つけ出せ。
君はそれをなんだと思っているんだい?
むしろそれが何であるのか自分とその存在とで決めるがいいさ。

…私の場合?薫さんを何だと思っているかって?
薫さんは私の執事であり、旅の道連れでもある。
それ以上でもそれ以下でも無い。
オズ?奇特で危篤な素敵な隣人。



さて、改めて問いを。
あなたの隣(か後ろか頭の中でもどこでも)にいるその存在は、あなたにとってどういう存在ですか?

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