2018年5月28日月曜日

タルパーだけど『神秘のカバラー』読んだよ!~一回目・第一部後編~

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長らくお待たせしました、まだまだ続きます『神秘のカバラー』読書レビュー!(みたいなもの)

いや私としましてもあんまり長々と続けるのもどうかなあ…とは思っているのですよ。

今回の記事で第一部、つまりカバラーとは何なのか生命の木とはどういうのなのか、という部分が終わります。

この後はそれぞれのセフィラーについての考察が続くのですが、できれば第二部で一記事、第三部で一記事で終わらせたいなあ~…と思っております。


今後の希望を述べた所で早速本題に参りましょう。

前回投げたもとい長くなるからいったん区切った第七章からでございます。



第七章は、「至高の三角形」。

生命の木上に配置されたセフィラーを三角形になるような三つ組で考える事が何故大事なのか?ということについて語っている章です。

本文には
"「生命の木」とは本質的に言って、関係の、圧力の、反映の図式だからである。"(p68.4行目)

と書かれているわけですが、とりあえず図を出しましょう。


おなじみ生命の木の図です。

青い線で描かれた三つのセフィラーを頂点に持つ三角形が三つあります。

先程本文より引用した通り、生命の木とは関係の図であるので、一つのセフィラーを理解しようとする際は、その一つのセフィラーのみを考えるのではなく他のセフィラーについても考えなければならないのである!とダイアン・フォーチュン氏は力説しているわけです。

特に上記の図の中で同じ三角形に属しているセフィラー同士を考える事により、一つのセフィラーの理解が深まるのです。

勿論全てのセフィラーは結局は第一のセフィラー・ケテルから流出し、更に自分以前のセフィラーから流出してきているので、結果として全てのセフィラーは何らかの形で全てのセフィラーと関係している事になる、と思われるのですがそれはひとまず置いておきましょう。


さて、この章はそれぞれの三角形について考察する章ではありますが、三角形を考察するにはそれぞれのセフィラーについても最低限の知識がなければ説明のしようもない…ということで、この章の至る所で各セフィラーについての簡単な解説がなされています。

その為かこの章割と長い…じゃなくて、所々でいきなり各セフィラーの情報がぶち込まれます。

主に各セフィラーに割り当てられている惑星や神…だけならいいのですが、各セフィラーがカバリスト達に呼ばれている称号なんてのも出てきます。

これらのカバラー初学者には分からない称号等は、ダイアン・フォーチュン氏がここで考察する必要は無いってきっぱり言い切っちゃってます。

んじゃあどこで考察するのか?と言うと、第二章から始まる各セフィラーの考察の章で考察しているので、とりあえずここではそういった称号は置いておいて、必要が出てきたら惑星等を引き合いにだしていこうと思います。

惑星ならまだとっつきやすいはずだと信じて…!


なぜ三角形という形もしくは三つのセフィラーの組というものが一つの章を割いて説明するまでに重要視されているのかと言うと、生命の木が流出していく過程にあたり、"「対立する二極」に分化しなければ、いかなる顕現もあり得ない。"(p71)からであるのだそうで。

つまりとりあえず二つに分化しなくちゃ何も顕現しない、つまり物質世界に顕れてこないんですって!

更に言うなら、対立じゃ駄目で分化した二つを均衡させねばならないのだと出てきます。
その、分化した二極が均衡するのが三つ目のセフィラーというわけです。

つまり対立する二つと均衡させる(する)一つの、計三つのセフィラーでもって一つのグループというわけです。


分かりやすい(と思われる)均衡の図がこちらになります。

両端でゆらゆらしている○が対立する二極のセフィラー、うまくバランスをとっている△が均衡させるセフィラーです。

このゆらゆらしている○が勢い余ってぶれすぎちゃったりすると、クリフォートという生命の木が逆さまになった、悪徳たっぷりの木の方に行ってしまうんでないかな~と思いますが、クリフォートについての考察も後々の章までとっておきましょう。

また、セフィラーが流出もしくは生成されていったという過程を考えると、以下の図のように考えるのもいいんじゃないかな~…と思ったり。


①と②のセフィラーになんやかんやあってドカーンとなってにゅるっと③のセフィラーが出来上がる図です。

ごめん忘れて。


ここで一番上にあげた三角形の書かれた図を思い出していただきたいのですが、一番上の三角形だけ上向きです。


結局図を出しました。

多分言わなくても分かるんじゃないかなあ、とは思いつつも言っておきますが、この三角形だけ上向きなのは、この三角形で初めて対立する二極という概念ができあがるからです。

端折って言うとそんな感じだと思います。


これで何故生命の木において三角形もしくは三つ組が大事なのかという話はできた筈なので、私としましては先の章に進みたい気もするのですが…やはりそれぞれの三角形についての説明もしておいた方がいいのかしらん。

各々の三角形の説明は、そりゃあ真面目に魔術の道を歩む人にとっては大事だと思うのですが、それこそ『神秘のカバラー』読んだ方が早いと思うんですよ。

なのでそういう人とか興味がある人なんかは『神秘のカバラー』を読むなり自分で調べたりしてみてね!と言いつつ、ここではタルパー的になんかよさげだと思った所だけ書いていくぞ!と開き直ることにします。

ここで「じゃあ今まで長々と語ってきた一見タルパに直結しないような部分はどういう役に立つのさ?」という疑問がわくかも知れませんが、これは算数ができなきゃ物理の公式解くなんてとてもじゃないけど無理!っていうのと同じようなもんです。

何事にも、前提となる必要最低限に持っておくべき知識というものはあるのです。

似たような事をダイアン・フォーチュン氏もこの本の中で言ってました、たぶん。


さて、私が思うに、タルパー的に活かせる三角形はこれだと思うんですよ。


図にはアストラル三角形と書かれていますがこの三角形、他にも魔法の三角形と呼ばれているんですよ。

そう、魔法の三角形!なんとも魅力的な響きではありませんか!

この三角形は心霊現象に関係する潜在意識と超越意識であるとこの本にはあります。

魔術というものは潜在意識にどうにか働きかけてなんやかんやするものである、と私もどこかで言ったような気がします。

言ってなかったらごめんね。

詳細な考察はそれぞれのセフィラーでやる予定ですが、ここで簡単に触れておくと、第七のセフィラー・ネツァクは金星、第八のセフィラー・ホドは水星、第九のセフィラー・イエソドは月にそれぞれ対応しています。

金星は快楽の星、要するにここで人は嬉しいとか楽しいとか感じるわけです。

例えば、人は自分の中にある金星的部分でおいしいもの…そうだなあ、おいしいハンバーグ食べてるとこを想像して嬉しくなります。

水星は知恵の星、要するに人はここで頭を働かせます。

おいしいハンバーグを食べる想像をして嬉しくなった人は、現実にその嬉しさを味わう為に、ハンバーグのおいしいお店を探すだとかおいしいハンバーグのレシピを調べるだとか、そんな感じに頭を働かせます。

月は感情の星、実際の行動で色々感じるのはここです。

実際にハンバーグ食べておいしいなあ…とかおもってたのとちがうなあ…って結果を感じるのはここです。

ちゃうねん、金星と月どっちも感情っぽく見えると思うけど、金星はなんていうか愛と美の星でもあるんで、つまりは綺麗なもの快いものばっかりやねん。

実は私もそんなに占星術に詳しいわけではないので、正確かどうかは保証できないのですが、まあ雰囲気はだいたいこんな感じです。

魔術や魔法では、実際に現実に変化を起こしたいなら想像力で望む結果の見た目のみを想像するのみならず、望む結果を得た自分がどういう感情を持っているのかも想像した方がいい、とはよく言われているのですが、そうすることによりこの魔法の三角形を通じて物事が具現化することになるからそう言われているんです。と私は思っております。

だって生命の木は万物の造られる過程を表したものなんですから、これを使わない手なんてありませんぜ。

この辺りは、というよりも生命の木について初めて触れるのであれば占星術の知識があるとかなり有利です。

理解を深めていくとなると占星術の知識は必須!となるのですが。

なんだかんだ言って惑星は象徴としてタルパに取り入れるのも自分のタルパを考察するのにもお役立ちなので、ちょっとずつ学んでいくのはいかがでしょうか?

ううむ、やはり簡潔な説明なので色々足りない所があるなあ…。

まあそれは各々のセフィラーの解説の際にすることにして、先に進みましょう。

最後に、これは大事だなあと思いつつもどこに入れればいいか分からなかったのでここに入れておきますが、クロウリーいわく、木はカード検索ファイルで木に割り当てられる象徴はその封筒にあたるのだとか。

この概念があると木の扱い方がかなりいい感じになると思います!




次は第八章、「木」の原形。

ここは木の上にセフィロートを割り当てる方法は色々あるんだよ、と言いながら10のセフィラーを三つ、四つ、七つのグループに分ける方法について論じられています。

が、今の私的にはそんなにタルパに活かせる気がしないなあ…と端折りたくなる章です。

セフィラーをグループ分けする方法が色々あると何がいいかというと、カバラー以外の体系と対応づけることができるのだそうです。

つまり何でもかんでも生命の木に集約もしくは分類する場合にお役立ち、というわけです。

あとは、そうだなあ、前の章でもあったけどこの記事内で書いてないのが、生命の木においては力と形というこの二つが基本単位(単位でいいのかな…)という話ですね。

生命の木の各セフィラーは三本の柱にそれぞれ割り当てられています。


図の赤い縦線が柱です。

左の柱が峻厳の柱で、この柱に乗っているセフィラーは形のセフィラーに当たります。

右の柱が慈悲の柱で、この柱に乗っているセフィラーは力のセフィラーに当たります。

中央の柱はそのまま中央の柱で、この柱に乗っているセフィラーは力と形の均衡しているセフィラーになります。

二極に分化しなければ顕現はありえない!と先の章にもありましたね。

この、力と形という二極の作用によって物理世界が形作られているわけです。

力と形については、純粋な力を表すコクマー、純粋な形を表すビナーでじっくりねっとりやることにします。

…こんなもんでいいかしら?

はしょった内容が知りたい!という君は、是非『神秘のカバラー』を読もうな。




気を取り直しまして次は第九章、「四つの世界」における「十のセフィロート」。

ここでいう四つの世界とは、アツィルト界、ブリアー界、イエツィラー界、アッシャー界の四つを指します。

何でもこの四つの世界は霊的発展に大事なのだそうですが…タルパを霊的に発展させる方法に興味が無いとは言わないけど、まだそこに手をつけるのは早くね?というのが主な理由で消極的です。

タルパも魔術、と言いますかオカルト技能な時点でいつかは自分自身も霊的向上に努める事になるのかもなあ…と思ったりはしなくもないのですが、何事も物事には段階というものがありますし。

少なくとも私はカバラーを己の体系としたいわけでもないですしねえ。

というわけで、ここは割とカバラーをがっつり修行したい人には必須な世界観ではありますが、現時点のこのブログではさらりと流すことにします。


先に挙げた四つの世界、何が違うのかというと神の力の働き方が違います。

神ってまとめちゃうと紛らわしいのですが、カバラー的世界観ではどの道絶対的な一者のお力でこの世界は成り立っているので、そこはファジーに受け止めておいてください。

アツィルト界は神の力がダイレクトに働く世界です。

神の力がダイレクトに働くといっても神自らが汗水たらしてレンガを積み上げたりといった創作活動に励むわけではなく、神は設計者である、というようなことがこの本の中で書かれています。

つまりこのアツィルト界で万物の設計がなされ、後の界で実際に万物が組み立てられ運用されていくわけです。

これを踏まえてブリアー界は神の命を受けた大天使もしくは強力な霊が働く世界です。

更に下ったイエツィラー界は天使の軍勢が働く世界です。

どっちも天使が働く世界じゃ…?と混乱するかもしれませんが、ブリアー界の大天使は現場監督やもしくは会社の部長等のちょっと立場が上の指示出し層で、イエツィラー界の天使の軍勢はとかく肉体労働系の実働部隊です。

そしてアッシャー界は実際に万物が組み立てられ運用されている現実世界!

ここで働いているのは天使や神、ではなくて自然界の諸力です。

まあカバラー的には自然も神の創造物なわけで、結果として神の力が働いているといえなくもないでしょう。


さて、章題からはちょっと離れるけどタルパー的には興味があるであろう部分がいくつかこの章にはあります。

この本に何度も出てくる象徴とは一体何かと言うと、今ここで書こうとしている事柄的には、滅茶苦茶ざっくり言ってある力を喚起する為に用いるもの、という説明でいいかと思います。

逆に象徴がどのような理由で誕生するのかというと、"いろいろな型といろいろな次元の宇宙的な力の異なった顕現様態を現わすために形成されたのである。"(p99)とあります。

そして象徴の誕生経緯は、まず自然の要因・諸力の一部分を取り上げ、擬人化し、名前をつけ、そして象徴を作ることにより取り上げた自然の要因を魔術的作業において扱えるようにするのです。

この時点でタルパー的にはワクワクしてきませんか?

更に、そうやって擬人化され崇拝されてきたものは、アストラル界にそれを現わす思念像が形成されるそうですよ!

その上、この思念像に力を満たせば人工的な四大的存在になるともあります。

満たす力が宇宙的な力であるのならば天使的存在になるのだともあります。

"それゆえ天使的存在とは心霊的意識に明白に顕現する宇宙的な力であり、人間の想像力が形成した形姿なのである。"(p100)

さあ、タルパー的にはこの辺もうたまらないのではありませんか!?

私はたまりませんとも!ぐへへ。

この辺りはタルパを(魔術理論的に)作ろうとする際にも、タルパに力を持たせ引き寄せ願望実現その他タルパーの魔術的作業に付き合わせる際にも大いに参考になるかと思います。

というか参考にしよ?


この章については、今回はこんなものでしょうか。
折角この記事にも一回目と銘打ってあるわけですから、より詳細な考察は二回目以降に頑張ります。




テンション上がった所で第十章、「木」の「小径」。

この章ではご覧の通り、いわゆる生命の木のパス、ここでは小径と呼ばれているものの考察がなされています。

とはいうものの、それぞれのパスがどういうものなのかじっくり考察…という形ではなくて、パスというものはそもそも何なのか?という形の考察です。

ここ、そんなにタルパー的に琴線に触れない上に、瞑想に使う時の実践的教示は行うつもりだけど魔法の「実践カバラー」について書く気は無いよ!って明言されてるのもここなんですよね…。

なので木を瞑想で使う際にはここもしっかり読んでおいた方がよいとは思いますが、その先の魔術的作業をする際は密儀うけてね!って形になっているので、ちょっと拍子抜けかもしれません。

あと、ここで語られているパス・小径というものは22本あり、タロットの大アルカナにそれぞれ対応づけられています。

小アルカナは各セフィラーにそれぞれ対応づけられています。

というのも、今現在一般的に広く知られている(であろう)ウェイト版タロットは、そもそも元々のマルセイユ版タロットを生命の木に対応づけられるように改造したもの(だと私は認識しております)なので、当然といえば当然なのですよね。

なので、この章もしくはこの本の中でダイアン・フォーチュン氏は、タロットこそは神秘の収められた知識の書である!(※私個人の感想です)みたいに言っているのですが、それには時代背景もあるよなあ…と思っております。

まあタロット自体そういう背景で作られたものですので、タロットをお使いになる方は生命の木を学んでおくと、自身の占いにぐっと深みが出ると思われます。

また、タロットで出た結果に対して、生命の木を用いた魔術的作業を行うことにより、結果を補償したり強化したりと様々な干渉ができるようになります。

むしろそっちが真骨頂です。

ちょっとそういうの憧れるなあ、と私は思います。


また、本文中ではアストロロジーと呼ばれているつまりは占星術も生命の木を抜きにはありえない!とあります。

生命の木、アストロロジー、タロットの三つは、同じ体系の三つの局面である、とあります。

なので占星術をやっている方も生命の木を以下略。

ここではあまり占星術について(この本の中でも)あまり取り上げていないので、是非ご自分で調べてみてくださいね。




ようやく終わりが見えてきたかもしれない第十一章は、主観的「セフィロート」。

主観的セフィロートってなんやねんっていうとつまりは生命の木を人間に重ね合わせて考えることです。

よく魔術の世界で言われるのが、「上の如く、下も然り」という言葉です。

この言葉は本当に頻出なのでここで覚えて帰ってくださいね~。

この言葉は、マクロコスモス、つまり宇宙的にスケールの大きな世界で起こっていることは、ミクロコスモス、つまりはちっぽけな人間にも反映されているんだよ、ということです。

突き詰めれば逆もまた真なのかもしれませんがここでは置いておきます。

天体の位置や動きが人間や国の性格や動きに影響する、という占星術の考えはこの概念からくるものです。


さて、この章では各セフィラーが人間の物理的な上でも精神的な上でもどの部分に対応しているのかと、ヨーガとの配当について主に考察されています。

…ぶっちゃけこれを語るには知識が足りない、といいますかどうせ後で各セフィラーの章でも対応出てきますので、今回は!置いておきます!!!

いいね!?




そして次は第十二章、「木」の神々。

この章ではキリスト教から見た異教の神々…つまりはギリシャ神話やローマ神話やエジプト神話等の神々を各セフィラーに対応づけることについての考察がなされています。

これは私の個人的な苦言なのですが、私キリスト教のこういう異教とか言っちゃうとこあんまり好きではないんですよね。

まったくもう!ぷんすこ!

まあこれはダイアン・フォーチュン氏の書き方とか日本語訳の際の言葉選びなんかの問題かもしれないので、あんまり目くじらを立てるのはやめておきましょう。


さて、自然の諸力を人格化及び神格化したものが神々である…というのはさっき似たような事を書いたような気がしますね、うん。

また、そうした神々を象徴的に扱うことにより、人の潜在意識になんやかんやして…というのもさっき似たような事を書いた気がしますね。

あとアストロロジー・占星術ではそれぞれの惑星と○○座が重要になってくるわけですが、そのどちらにもまつわる神・まつわる神話が割り当てられているのは流石にみなさんご存知だと思います。

先程も書いたように、アストロロジーと生命の木は同じ体系の異なる局面である、ということは、占星術についての知識でもって生命の木に神々を割り当てることもできるということなのです。

…占星術、ちょっとずつでいいからやっていこうね。

この章もこんなものでいいでしょう。




ようやく第一部ラストの第十三章は、「木」に対する実践行。

ここまで長かった…長かったけどこの章も他の章と比べてまた長いんだわ…。

確かに実践について語っている章なので大事!だとは思うのですが、ダイアン・フォーチュン氏が魔法の実践カバラーについて詳しく書く気は無いよ!と名言している事もありますので、何とか短くまとめるよう、努力します!


とにかくダイアン・フォーチュン氏は実践は密儀を受けないでやると危ないから、一人で木に取り組む場合は瞑想でちょっとずつやっていこうな!瞑想やってて生命の木の深奥に触れてセルフイニシエーションつまり自己密儀参入をはたすのは全然構わないからさ!というスタンスなので、"以下の頁で、私は全力をあげて魔法の象徴体系を利用する際に働いているいくつかの原理を明らかにするつもりである。"(p130)というダイアン・フォーチュン氏の言葉は中々に頼もしいものだと思います。

というかこの人実は語りたくてたまらないんじゃね?と本文の熱量を読んでて思ったりもしますが、まあそれは置いておきましょう。


これまで象徴、象徴とこの本の中で何度も出てきた為、象徴がとっても大事なものだということはここまで読んでこられた方にとっては明らかな事だと思います。

そのとっっっても大事な象徴とさてどう向き合っていけばいいのか?ということもこの章では語られています。

本の中ではただ象徴を知識として知っているだけではだめで、その象徴と接触して実際に知っておく必要があるのだ、とあります。

要はその象徴に対して自分の中にその象徴を用いる事で得られた体験を積み上げていけ!ということではないかと私は思います。

生命の木には木の上には図示されていないダートというセフィラーがあるのですが、このダートは知識のセフィラーだと言われています。

知識を知ってるだけじゃだめだ~という部分は、知識のセフィラーであるダートが隠されている理由にも繋がってきそうな気が私にはしてくるのですが、皆様はいかがでしょうか。

知識はしっかりと自分の中に消化吸収して、自分の血肉として実際に扱えるようになるのが大事なのだ~!ということは、私いつも心に留めておいているつもりであります。

ダートの事は置いておいて、このことについてこの本の中に良い例えがあるので引用しましょう。

"魔法においては、ヴァイオリンを弾く時のように「自分の音を作り出す」必要がある。ピアノのように既製の音を見つける訳にはいかない。"(p130)

実に良い例えだと思いませんか?

ヴァイオリンってとこがちょっとなじみがないかも知れませんが、ヴァイオリンがピアノみたいに決まったキーを押せば決まった音が出る楽器ではないことは想像に難くないと思います。

めちゃくちゃ雑にかつスケール大きく言い換えるのであれば、魔法は一人一体系!一流派!ということです。


象徴や、セフィラーやパスといった生命の木の各部に接触する方法として、この本では瞑想を猛プッシュしているのですが、瞑想までいかなくてもいんじゃね?って私は思うのですよ。

なにぶん私は瞑想が苦手でね…瞑想が苦手というよりは瞑想をした後になんかやたらと気が滅入るんですよ私。

どこだったか忘れてしまったのですが、外国の研究機関で行われた研究によると、瞑想の後にネガティブになってしまう人というのも一定数いるらしいのですよ。

気になる人は自分で調べてみてくださいね。

まあ確かその研究でどんなタイプの瞑想が行われたか書いてなかった気がするので、全ての瞑想で気が滅入る、というわけではないのでしょうが、無理に瞑想にこだわる必要も無いと思います。

だってダイアン・フォーチュン氏も自分の音を作り出せって言ってるわけですし。

じゃあ瞑想以外にどんな方法で象徴その他に接触すればええねん!?と言いますと、私個人の考えでいいのであれば、とにかくその象徴についての知識を集めまくるのと同時に、その象徴に対して自分はどういう感覚を覚えるのか?ということを自分の内に求める事だと思います。

簡単に言えば、自分の内にあるものでその象徴に対して自分なりの説明つけて扱えるようにしろってことです。

集めた知識は自分なりの説明つけるための素材です。

人間なんて自分の内に無いものは扱えないもんなんですよ。

だから知識という素材を集めるのは大事、いいね?

知識を集めて君だけのオリジナルデッキをつくろう!(トレーディングカードゲーム感)

象徴に限らず、取り込んだ知識をあれやこれやとこねくり回すのは様々な事象に対して有効です。

こねくり回している内に、自分のすでに持っている思わぬものとの関連性が湧き上がってくるかもしれません。

この、突拍子もない関連付けができるということが賢いって事なんじゃないかなあ…と私はぼんやりと思うわけです。

あるいはこれこそが生命の木という体系を用いる理由なのかもしれません。

ていうか生命の木は関係の図だっていうんだから、これができるように生命の木を使って鍛えようぜ!っていう話なのかもです。

生命の木を使えばある程度象徴の関係性が限定されますので、それこそクロウリーの言うようにカード検索ファイルとして扱いやすいと思います。


あとこの章の後半部には、植物や鉱物、または香り等をセフィロートに対応づける方法についての考察がさらりとなされているのですが、これはここで書かなくてもいいよね?

気になるだろうとは思うのですが、この辺はそれこそ他の本を用意した方がいいと思います。

ちなみにこの本の中では鉱物の部分、つまり石の対応について考察している部分に書かれている「水晶」という単語は、鉱物としての水晶を指すのではなく天然石全般としての「クリスタル」の事を指すのではないかなあ、と思います。

紛らわしい事に、英語だとどっちもクリスタルって言うんですよね。




これでようやく第一部については語り倒せたと思います。

私の未熟さゆえに不足な部分はあれど、現時点の私的には十分語り倒せたと思います。

次なる第二部からは各セフィラーの考察に入っていくことになります。

『神秘のカバラー』では各セフィラーの考察に入る前の第一部の時点でちょくちょく各セフィラーについて言及しているのでもどかしいったらありゃしないのですが、これでようやく各セフィラーについてのまとまった情報が手に入るってもんです。

各セフィラーについての理解を深めた後で第一部に戻ってみると、格段に読みやすくなると思いますぜ。

それではまた次回!

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