2018年5月9日水曜日

タルパーだけど『神秘のカバラー』読んだよ!~一回目・前置き~

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凪沙は打ちひしがれていた…。

『神秘のカバラー』の余りにも難解、かつ深遠なるその内容に…。

こんなもの、どうやって記事にすればよいのだ、そもそも私ごときが『神秘のカバラー』ひいては生命の木に関して何かを語る等、おこがましいにも程があるのではないか…?


そう、これがいわゆるドツボにはまるってやつです。

まあ、んなこと言ってたら私、何も言えない&何も書けないになってしまうので、未熟さをお供に心は熱く、『神秘のカバラー』について語り倒していきたいと思います。

☆本編に入る前の注意事項☆
・この感想書いてる人はオカルトオタクです。
オタクなのでその知識は深い所は深いけど浅い所はさっぱり…といった、局所的なものとなっております。

・所詮一人の人間の感想なので、色々なフィルターがかかっております。
本の内容に興味を持たれましたら、実際にご自分で読んでみるのをおすすめします。
自分で読んでみて考える、これ大事。

・今回読んだ文書の著者様もしくは魔術結社と私とは何の関係もありません。
強いて言うなら本を書いた人とその本を読む人です。

・今から書きますのは私個人の感想です。
浅学ゆえの間違いや解釈違い等もあるかと思いますが、その間違い等は私個人に由来するものであり、読んだ本の内容を損なうものではありません。


今回読みましたのは
『神秘のカバラー』
(ダイアン・フォーチュン著、大沼忠弘訳、新装版第8刷)
でございます。

・難易度…めっちゃ難しい
易しい★★★★★難しい

・情報量…とても多いけどあとほんの少しだけ足りない
少ない★★★★☆多い

・情報の濃さ…めちゃくちゃ濃い
薄い★★★★★濃い

・面白さ…大変興味深い
not for me★★★★★面白い

・こんな人におすすめ
☆生命の木に興味があって、ある程度の知識があるけどもっと濃い知識が欲しい人
☆西洋魔術の知識が多少あって、もうちょっと踏み込んだ理解を望む人
☆生命の木について、ネットでよく見かける情報だけじゃ物足りない人
☆文章を読みながら、内容をどうにか自分の使えるものにできないか、と試行錯誤するのが好きな人
☆難解な文章に挑むのが好きな人
☆文字が読めれば何でもいい、活字中毒な人

・こんな人は読むのをちょっと待った方がいい
★カバラー、生命の木という言葉に触れるのはこのブログが初めてです!という人
★タルパ以外のオカルト知識をあまり持っていない人
★性というものに激しい抵抗感がある人
★魔術なんて危なげ物騒なものに足を踏み入れたくない人
★お手軽実践法を求めている人
★読んだだけで魔術の熟練者になれる本を探している人

・この本を読んだ感想を手短に
カバラー及び生命の木について学んでいく上で、避けては通れない本だと思えるけど、最初に読むには難しいと思う。
また、書かれているのは知識が殆どで、具体的にどういうやり方で生命の木を用いた実践ができるのかは、全くと言っていいほど書かれていない。
この本に書かれている生命の木についての知識をタルパに活かすのは十分可能だと思うけど、タルパに活かす為の知識や頭の使い方や実践方法が他にも必要。

・これから読もうと思っている人に一言
この本を読む事で、カバラーの知識のみならずその他おおよそのオカルト知識がぐっ…!と深まること間違いなしです。
ですが、本文が難解かつ理解に大変頭を使うので、休憩をはさみつつ、ゆっくりと読み進めていく事をおすすめします。



私未だにこのブログの読者層が分からないのですが、一応タルパブログと銘打っている以上、私としましてはタルパーの皆々様に向けて書くのがよろしかろうと思っております。

あとオカスピクラスタの方々とか。

オカスピクラスタの方々なら多少なりとも聞き覚えのあるであろうカバラーという単語、タルパー的には知らない人結構いそうだなあ…って思ったりしています。

まあカバラーもしくはカバラって言葉を知らなくても、生命の木って言葉ならタルパに興味を持つ層には聞いた事ある人いるんじゃないかしら。

そう、この『神秘のカバラー』という本こそは、著者のダイアン・フォーチュン氏がカバラーひいては生命の木について熱く語っている本なのです!

もしくはこう言ってもいいかもしれません。

この本は、ダイアン・フォーチュン氏の生命の木の使用例です。

つまりダイアン・フォーチュン氏が生命の木を使ってみたら、生命の木はこんな中身になったよ!というのを、ある程度解説している本ということになります。
(※個人の感想です)

生命の木の使用例、ってそもそも生命の木って何やねん何にどうやって使うものなんや、というと長くなるのですが、私がこの本から読み取った生命の木というものについてまずは語っていきましょう。

生命の木は一般的には、この宇宙が造られる過程で通ってきた道筋、もしくはこの宇宙はこの順番で出来上がった!というものを図示したもの、と言われております。

といいますか私はそう受け取っていました。

『神秘のカバラー』内の文章にはこうあります。
”「生命の木」として知られている奇妙な象徴体系は、顕現宇宙と人間の魂におけるあらゆる力と要素を図式的形象に還元しようとする試みである。それらを互いに相関させ一枚の地図の上に広げてみせることによって、それぞれのものの相対的位置がわかるようになり、それぞれの関連を後づけることができるようになる。簡単に言えば「生命の木」とは科学、心理学、哲学、神学を一つの形に要約する図式なのである。”
(p30、2行目から6行目まで)

中々に難解な文章ですね。

文章だけでは分からないと思いますので、図形も出しましょう。


生命の木(The・手書き)の図です。

見にくかったり字が下手だったりしますが、あきらめるか各自生命の木の画像を検索してください。(生命の木の画像検索結果ページ)

詳しいもしくはまともな解説は他のウェブページ、もしくは『神秘のカバラー』読んでねということで、ここでは簡単あるいは私の主観が入りまくった説明をしていきます。

一番上のうにょうにょ~とした部分が今私達のいる宇宙の外側です。

宇宙の外側なので宇宙の内側から見れば存在しないもの、つまりは未顕現ということになります。

その未顕現の何かに何かがあって、この宇宙が造られ始める、もしくは顕現していくのですが、この顕現の過程が画像の中の丸い部分、つまりセフィラーになります。

未顕現の何かに何かがあって、とありますが、巷ではこれを流出と呼んでいます。


流出の図(※画像はイメージです)

つまりうにょうにょ~とした部分から流出して初めのセフィラーが顕現し、初めのセフィラーから流出して次のセフィラーが顕現し…という流れが最後のセフィラー、つまり物理世界に至るまで続きます。

さらりとセフィラーなんて言っちゃいましたが、セフィラーって何ぞや?といいますと、ぶっちゃけわかんない…う~ん、セフィラーごとに割り当てられている権能が作用している場所…とでも言いましょうか。

割り当てられている、というよりはそういう権能が顕現している、と言いますか…未顕現もしくは前のセフィラーから流出した結果、そういうものとしてそのセフィラーが顕現した、ということになるのでしょうか。

実に難解ですね。

もしくは私の説明が下手ですね。

セフィラーというものがどういうものか語るよりも、セフィラーというものがどういう働きをするのか、について語った方が逆にわかりやすいかもしれません。

よしその方向で行こう。

セフィラーは各々のセフィラーごとに、様々な物事を分類して入れておく事ができます。

例えば体の部位やハーブ、多神教の神々などといったものを、それぞれに対応するセフィラーに分類することができます。

また、セフィラーは諸々の象徴を分類するのみならず、瞑想等の象徴として使うこともできます。

更にセフィラーごとに当てはまる適切な魔術的作業を行えば、宇宙が造られるのと同じようにして、その魔術的作業の目的、いわゆる願望をこの物理世界に実現させることができます。

これは私が思うに過ぎないセフィラーの働きですので、まだまだ他にもセフィラーの働きというものはいっぱいあります。

なぜセフィラーにこういう働きが可能なのかというと、この宇宙が造られる時に、各セフィラーが造られると共に、各セフィラー内で万物の各セフィラーに対応する部分もまた造られていったから…ということになると思います。

つまりセフィラーは被造物であると同時に創造する場でもあったわけだよ!!!

ええい、なんと難解な!

私は『神秘のカバラー』について語り倒すとは言ったが、生命の木について語り倒すとは言ってないんだぞ!

生命の木について語るのは私の手には余るので、これ以上ぼろが出ない内に(もう出てるけど)生命の木の説明を切り上げます。

生命の木について詳しく知りたければ『神秘のカバラー』を読むのじゃ…読むのじゃ…。



さて、多少なりとも生命の木への理解が深まった所で(希望的観測)、『神秘のカバラー』の考察のようなものへとまいりましょう。

『神秘のカバラー』には目次の後に生命の木の図形が載っているのですが、この本の中で図形が載っているのはここしかありません。

本文を読み進めている内に何度も生命の木の図形を見たくなるのでちょっと不便です。

利便性を求める方はあらかじめコピーをとっておくといいかもしれません。

『神秘のカバラー』は三部構成になっていて、第一部ではカバラーというものが何か、生命の木というものが何なのかという全体的な説明…というよりは熱い考察がなされています。

第二部では第一のセフィラー・ケテルから第六のセフィラー・ティファレトまでの6つのセフィラーの考察を、第三部では第七のセフィラー・ネツァクから第十のセフィラー・マルクトの考察及び生命の木の影の部分であるクリフォートの簡潔な考察、それから全体を通しての結論が書かれております。

何故セフィラーの考察が二つの部にまたがっているのかと言いますと、第一から第六までのセフィラーは高次のセフィロート、第七から第十までのセフィラーは低次のセフィロートと分けて考えられているからです。

さらりと出てきたセフィロートという単語はセフィラーの複数形です。

何でも、低次の4つのセフィラーは『堕落』の影響を被っているそうな。

低次のセフィロートが堕落の影響を被っている図(※画像はイメージです)

よく分かんなければ低次のセフィラーはより物理世界寄りで、第六のセフィラーから上は決定的に非物理世界寄りになっちゃってるとかそんな解釈を今の所はしておきましょう。

…さて、ようやく本文に入る前に語っておいた方がいいと思われる事を語り終えました。

これでようやく、本当にようやく本文を語り倒す事ができるぜひゃっはー!

本文を語り倒すにあたってはタルパー向けに何かタルパに役立ちそうな形で語るんだ…!ということを念頭に置きつつも、たぶん語ってる間に頭からすっぽ抜けます。

振り落とされないよう注意してお付き合いください。

(続く)



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